振り返れば神がいる!? ~引っ越しても引っ越しても家の裏が神社という人~

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私は日頃、バイクで神社仏閣を巡っている。

趣味といえば趣味だが、
そうじゃないといえば、そうじゃない。
まぁ確かに建築物を見るのは好きだけど、
色んなモノをほっぽり出してまでは行かん。

大体そこまでしなくても私の場合、
神社はいつも家の裏にある。

引っ越しても引っ越しても家の裏は神社

生まれてこの方40年。
自宅から半径50M以内に神社がなかった事がほぼない。

まず実家の裏が神社。
更に向かいにも神社

名古屋に出てきてからは賃貸アパート住まいだが、
自分の部屋の玄関を表、ベランダを裏と考えると、
やっぱり自宅裏は神社。
更に次も神社。

実家にしてもアパートにしても窓を開ければ神社。

そして今も神社。
今回は辛うじて窓を開けても見えないが徒歩1分に神社。

そもそも今の部屋は神社もあるが
それ以前に一緒に住んでるダンナが
“歩く神社”
みたいな男。

更に加えて、自宅にある某神社の神職から頂いたという
“龍神付き石”はハッキリ言ってプチ神社

勿論、わざわざ神社傍を選んで住んでいるわけではない。
不動産業者の“物件探しあるある”
「ブス、ブス、並」で紹介される“並”
いつも神社裏

確かに名古屋は意外と神社仏閣が多いんだが、
それにしても・・・当たりすぎだ。

 

人は、それが当たり前になると、
例え多少変な事でも自分では変と気付かない。
それは私も例外ではない。

生まれた時から「自室の窓を開ければ神社」
という生活が当たり前すぎて、
ある時遊びに来た友人に指摘されるまで、
全くその事に気付いていなかった。

冗談抜きで私にとって家の裏に神社があるのは、
“家の裏に塀がある”
レベルで当たり前の事なんだ。

信仰心なんてほぼ0なのに

どうしてそんな事になっているのか、
私としてはサッパリわからない。

あ、いや、最近何となく理由は察しているが、
それはとても個人的というか、内輪の話的で、
絶対に世界平和(笑)のためじゃない。

別に私が拝まんでも世界滅びないからね。
誰も困らないから。

まぁ確かに“何となく”理由は分かるけど、
それだって明確な理由ではない。
結局、何で私なのかイマイチ分からん。

いや、私が
「神様大好き~ww」とか
「私は特別な人間で~」とか
もしくは物凄く霊感があるなら分かるが・・・

実は私、信仰心が薄氷の如く薄いんだ(爆)
まぁ何を持ってして信仰心とするのかだけど。
とりあえず余程困りに困った時以外願掛けはしないし、
大体それは自分の事ではない。

確かに今まで散々変な目にあっているから、
“そうゆう理屈では説明し難い事がある”
っていうのは信じている。
っていうか、もはや信じざるおえない。

それでも1度2度なら私は「偶然だろう」と思うほうだ。
何でもかんでも“運命”というのは好きじゃない。
好きじゃないが偶然も3度あったら必然だ。

だから、3度あったら
どんなに頭がおかしい事でも信じる事にしている。

不可解な事を頭から鵜呑みにするのも愚かだが、
何度もある事を頑なに受け入れないのもまた愚かだ。

そしてこの“引っ越しても引っ越しても神社”については
3度を突破しているので、
「神社に全力でストーキングされている(笑)」
と、認める事にした。

“神に選ばれた~”なんてそんなお花畑な感じではない。
むしろ“お神によるパワハラ”のほうが相応しい。

絶対に自分たちの事を忘れないように、ゴリゴリと
存在を主張されているようにしか思えん(;・∀・)

で、どの道普通にしていてもソレなので、
諦めてダンナ達から行けと言われたり、
不思議な事があると逆らわずに馳せ参じる事にしたというワケ。
まぁ別に悪いモンでもないしな。

悪いモンではないけれど・・・・
境内の末社まで2mくらいしかない所に住んだ時は、
朝っぱらから柏手て叩き起こされてたな(笑)

お蔭で超低血圧なのに、すっかり“朝方”だ。

家の裏に神社がないと・・・・

40年間その調子だが、ただ一度だけ
“周囲に神社仏閣がない部屋”
に住んだことがある。
名古屋に来て一番最初に住んだ場所だ。

そこは人に頼んで探してもらった部屋なんだが、
裏はおろか周囲半径1km以内に神社仏閣が一つもない。

そして、そこは今考えてもあまりにも不可解かつ
非常に恐ろしい事件があって、
たった1年半で引っ越すことになった。

まぁ確かに他人が聞いたら馬鹿馬鹿しい話なんだが、
ピンポイントで私の弱点を突く強烈な事件が
あったのだ。

それについてはまた別口で紹介したい。

一体いつまで続くのか神社ストーキング

とにかくこんな調子で40年、付かず離れずというか
そもそも離れたいと思っても、
拝み屋のダンナとくっついてしまった時点で
全て終了している気がしないでもない。

こうゆうモノと縁がある人間=人格者って事はけしてなく、
誰をチョイスするかは、何処までも“お神都合”である。

そしてお神の都合も好みも、
人の価値観とは遥かに離れた場所にある。

よく「神様に愛されて幸せに~」なんて言うけどさ、
私は個人的にそれは違うと思うぜ?
大体、人と価値観違うんだからよ、
お神が人の幸せをきちんと理解して共感しているか
怪しいもんだ。

ただ一つ分かるのは、
お神に好かれようが、無視されようが、
自分の人生を面白いと思うかどうかは自分次第って事だ。

つーか、本当にお神について回られてるっぽい人って、
一般的な幸せな人生というより、
大体トンデモナイ目に合わされている事多いよ、
私の見解として。

まぁ私はこうなったからには、
いつものアレを決め込む事にしている。
いつものアレとは・・・・

抜けられないなら楽しんだほうがマシ。

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