10代の頃の奇妙な話

こちらは、サイトマスターが大体10代の頃に体験した不思議な話の倉庫です。

壁の穴

うちの実家は‟出る家”であり、
一階の仏間の仏壇前の座布団は‟怪異的パワースポット”として
どうやら我が家を通過する怪異には人気らしい。

そして我が家にはもう一つ、怪異の憩いの場がある。

それが・・・私の部屋だ。

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何故、怪異は仏前座布団に座りたがるのか? ~其の壱~

うちの実家は出る家だ

というのが前回の話
まぁ一番多いのは‟空耳を通り越した足音”ではあるが、
‟出る”というだけの事もあって、勿論‟姿を見る事”もある。

が、裏の狐の言う通り、世に言う‟通り道”であったとしても、
一般的な‟霊道”とは違うのか、あんまり凄いものは出ない。

どのレベルまでが凄いものかはさておき、
落武者は出ない。(地域的にそんなもんいない)
血塗れのババアも出ない。(つーか他所でも見た事ねぇ)
貞子的なヤツも阿部サダヲも出ない。
(その前に貞子薄型液晶テレビから出てこれんのか?)

とりあえず普通の奴が出る。
そしてご丁寧な事に誰でも見てしまうポイントが決まっている。

それが、玄関横にある和室だ。

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だから私は実家に帰らない ~うちの実家は出る家です~

夏になると盆休みの関係もあり、1人2人には必ず
「帰省されないんですか?」
と聞かれる。

これについてはいつも「帰りません」と答える。
そもそも私は滅多に帰省しない
これは若い時から今に至るまでずっとそうだ。

歳を取れば、多少郷愁も覚えるものだと思っていたが、
どっこい40を超えても郷愁など全く湧かない。

これについて、
「都会に出ると田舎が嫌になるんだろう」
と揶揄する者もいるが、そうゆう事ではない。

私にはおいそれと実家に帰りたくない理由があるのだ。

何しろ、うちの実家は・・・・俗に言う‟出る家”なのだから。

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“神さんのかあさん”のご神託

私が人生で最初に会った拝み屋は
“神さんのかあさん”と呼ばれる、
小柄で何処までも普通の婆ちゃんだった。

祈祷をしている様子もきっと知らない人が見たら
ただの信心深い婆さんが祝詞を上げているようにしか
見えなかったのではなか?と思うほど、
仕事風景も服装も普通であった。

が、今だから思う。

意外と本当の拝み屋とはそうゆうものかもしれない。

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“神さんのかあさん”という田舎の拝み屋

私が“怪異”と呼ばれるものに度々遭遇する明確な理由は、
今も昔もよく分からない。

よく分からないが、どんなものにも
「不幸中の幸い」
というのは存在する。

世の中には色んな怪異に関わる人がいるが、
私は人生の最初の頃に中々よい人に面倒を見てもらえた。

私が人生で最初に会った怪異の専門家は、
和装の似合う小さい婆ちゃんだった。

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黄昏の葬列

今まで一般的な心霊譚で聞かないような奇妙なものを散々見ている。
いや、全く普通のモノも見ないわけではないが、
逆にそれは普通過ぎて一見怪異とは分からん。

分からんが・・・後からどれだけ考えても不可解なのが怪異だ。

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この木なんの木、天狗の木

いつの頃からか、木に“変なモノ”がいるのを見るようになった。

昔から変なモノは見るが、
何が見えるかは年代によって変化する。

それにどうゆう法則性があるのかは
いまだに謎だ。

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女子高の赤い腕

雨の日は、いつもよりも怪異との遭遇率が高い気がする。

よく「水辺には魂が集う」というが、確かに怪異を見た後、
周りをよく見ると傍に池など水場があったというのは
私の人生において“あるある”だ。

これは、そんな彼岸と此岸が少し近くなる雨の日の話。

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真の名を知るは怪

この世にある物には大体“名前”がついている。

が、私個人はハッキリ言って、
名前なんて分類のために存在している
だけに過ぎないと思っている。

リンゴをいきなりバナナと呼んでも、リンゴはリンゴである。
改名した途端に黄色くなるわけでも、手で皮が剥けるようになるわけでもない。

だが、名前はしばしば話題に上る。
特に“人の名前”は何かと話のネタになる。

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札と瘤

人は生きていれば、なにがしかの“心の拠り所”が欲しくなる。

コギトエルゴスムだの何だの言っても、
結局一人では個を確立できないんだ。

まぁそうゆう拠り所として分かりやすいのは宗教
「無宗教ですから」
なんて言いつつも、死という喪失に対面した時、
人は魂の行方とその世界を治めるモノについて自然と考えちまう。

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