偶然に偶然を重ねる ~運命の鎖を握るモノ~

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クリスマスも終わり、いよいよ年末。

一晩で‟ジングルベル”から‟ゆく年くる年”へ
シフトチェンジされた街を眺めて思うのは、
ある年に私が体験した

平凡だが不思議な偶然の連鎖。

あの年の年末から年始にかけて起きた
一連の出来事は、
一つ一つは平凡だが、
一つでもズレたら
今私がいる場所もまた違っていたものになっている。

そして結局人生というのは、そうゆう出来事の集合体である。

白山社のお神と人生最大の願掛け

私がかつて住んでいた家の裏にあった白山社の主には
個人的に大変お世話になったと思っている。

まぁ馬券の時もそうだと思うし、
今でも一番感謝しているのは、
猫が死にかけた時に助けてくれたことだ。

その猫というのは、
我が家で最初に飼い始めたキジトラのメス。
通称‟長老”もしくは‟マスター●●●”という。

我が家で最も長く生きた彼女は、
ある年の年末、冗談抜きで死にかけた。

人生最大の願掛け

確か長老が7歳になった年。
ちょうどクリスマスの夜。

朝まで元気だったのに、急に何も食わなくなって、
更に嘔吐が止まらない。

もちろん病院に連れて行ったが、一軒目はヤブだった。

「腸閉塞ですね~」
と試験切開したが、その後黄疸が出て
「もう助かりませんから。それにうち年末年始は休みなので」
と放り出された。

今ならネットで他の病院を探すというのも出来ただろうが、
そこは今から15年以上前の話。
まだGoogle先生はいない。

それどころか、まだ我が家には
PCというものもなかった。

電話帳を見てもいいが、何しろ一軒目の対応が↑だったので、
口コミすらわからない病院に飛び込む気になれない。

それに年末の病院の塩対応ぶりは結構酷い。
(数年後、本当にそれで困った)

年も暮れるが私も途方に暮れる。

そして途方に暮れた私が出来る事と言ったら、
いつも行く白山社で願掛けをする事くらい。

ジジイやダンナには
「おいそれと願なんてかけるもんじゃねぇ」
と言われていたが、猫の命が掛かっているんだ。
もうやるしかあるまい。

何を対価にするべきか?

所で・・・願掛けをする時、
皆さんはちゃんと対価を提示しているだろうか?

意味がわからん?
つまり普段願い事をする時、単純に
「宝くじ当たりますように」
とだけ言っているんじゃないの?って話。

対価を提示するというのは、例えば
「お礼として●●を奉納致します。だから宝くじを当てさせてください」
みたいに、
願いが叶ったらその対価を支払う約束をする事。
※モアベターは、先に対価をぶっこむこと(爆)

もちろん、対価を提示したり先払いしたから
必ず叶う保証はない。

でもさ、逆の立場で考えてごらんよ。

何か壮大なお願いを人からされたら
「で、あんた私に何してくれるの?」
って思わんか?

確かに人と神の価値観や在りようは違うが、
人感覚でも「虫のいい話」というのは、
多分神感覚でも「虫のいい話だな、おい」って
なると思う。

そして神と約束したからには、それを違えてはならない。

神との約束だけは絶対に反故にしてはいけない。
神は人に比べると寛大だが、
自分勝手を許すほど甘くはない。

そして掛けるなら
命を張るくらいの約束をしなければ
意味がない。

なんだか悪魔契約のようだが、
私は人外と取引する事というのは
良いも悪いも結局同じだと思うのだ。

ただ、相手が何で、
その行為を何と呼ぶかだけの違い。
根本は同じで、方向性とかが違うだけなんだ。

だからこの時、
私は自分の寿命を差し出すことにした。

もちろん、私は私の寿命が
どのくらい残っているかなんて知らない。

でも、人と猫の寿命を比べたら、
単純計算で猫は人の1/4。

人の1年は猫の4年に相当するとして、
12年生かすには3年分あればいい。

いや、仮にそのまま12~13年を持って行かれても、
今ここで何もしないで猫が死ぬよりずっといい。

「やればよかった」と思いながら13年生き延びるより
「やってよかった」と思って13年早く死ぬ方がいい。

 

そんな訳で、
毎日毎日朝晩朝晩、朝昼晩、
拝殿まで行っては

「猫の命を取る代わり、私から取ってくれ」

と、全身全霊で願掛けをした。

あれから15年以上経ち、
人生的にも40年を超えたが、
その中であそこまで真剣に拝み倒したのは
今でもこの時だけだ。

‟縁”というリレー

そして年明け。
当時のライスワークが始まった。
生霊騒動の会社)

猫は心配だが、猫の治療費のためには稼がなあかん。
後ろ髪を引かれる思いで出社すると、
新しい社員が増えていた。

Aさんというその新人さんは、私より大分年上の女性。
社員というよりパートさんだったかな?

副業でメイクアップの仕事もしているだかで、
正直、第一印象は「派手なオバちゃんやなぁ」だった。

あまりにも唐突に入ってきて、そんな人だったので、
初日は会話らしい会話はしなかったと思う。

で、確か1~2日頃、
同僚に猫の具合を聞かれて喋っていた。

そこへ、たまたま通りがかったAさんが
「だったら、いい病院がある」
と言い始めた。

なんでもAさんの家のダックスが病気になった際、
最初の病院で手術と言われた犬を
手術なしで治療してくれた名医
だという。

自宅からはかなり離れた病院だったが、
幸い地下鉄で行ける場所だったので
その日すぐに猫を連れて来院した。

診察の結果、原因は腸閉塞ではなく、急性肝炎だった。

そのまま緊急入院となり、私は毎日見舞いに行っていた。
その間ももちろん神社へ通い、
「猫の命を取る代わり、私から取ってくれ」
とのたまい続けた。

 

そしておよそ1か月。
なんと、長老は回復した。

その退院の時、ニコニコしながら院長が言った。

「本当は助かるか五分五分、いや五分より低いくらいだったんですよ。
今だから言うけれど・・・・私は正直無理だと思っていた。
どうしてあそこから回復したのか、不思議な事ってあるもんですね」

それまでずっと「大丈夫ですよ、必ず元気になりますよ」
私を励ましてくれていた院長が
「ごめんね、実はね・・・・」
と、漏らした本音である。

奇跡はいつも地味

‟奇跡”というと、大概の人はとても劇的な事を想像する。

特にこんな話の場合、ある朝突然猫が元気になっていたとか、
そんな展開を期待するだろう。

だから、今回の話は、客観的に見ると
「ただの偶然」
の分類に入ってしまうんじゃないのかと思う。

でも、私は思うんだ。

奇跡というのは、
小さな偶然の連鎖である。

今回は、たまたまAさんという人が私の職場に入ってきて、
たまたま私と同僚の話を小耳にはさみ、
たまたま名医を知っていた。

だけれど、その3つの偶然がなかったら、
私はその名医に辿り着けず、
長老は確実に死んでいた。

‟ただの偶然”が重なって、
長老は生き永らえた。

その‟ただの偶然”にも見える縁の連鎖を繋いだのは、
間違いなくあのお神だ。

 

言われている事がどこまで本当かはさておき、
白山のお神のご神徳・・・つまり最も得意とする事は
‟縁結び”

縁とは別に男女に限った話ではなく、
困った時に助けてくれる相手と結び合わせる事も含む
と知ったのは、この一件から数年以上経った後だった。

対価の行方とその後の猫の一生

さて、この願掛けの一件から既に15年以上、
もうすぐ20年ほど経つことになる。

寿命を大盤振る舞いしたが、とりあえず私は生きている。

と、いうか・・・・実は
ごく一般的な意味での「寿命」としては、
私は寿命を取られていない。

では、神が気まぐれでタダで願いを聞いたのか?
それとも、猫が助かったのはやはり偶然だったのか?

どちらも違う。

やはり神は対価を持って行き、
それを受領したという印をきちんと頂く事になった。

更に長老は、この時のダメージで長くは生きられないと
医者からは言われていたが・・・
結局20歳まで生きていた。

再び肝炎になることもなく、
加齢による病気は多少あったが、
特に大病をする事もなく、
天寿を全うしていった。

 

この後の「後日談」と言える話は、
少し長くなるので次回にしたいと思う。

いずれにしても願掛けとは
本来おいそれとするものではなく、

また奇跡というのは、イリュージョンのように
派手なものばかりではないとだけ言っておこう。

そして、偶然を起こしたのが例え神であっても
繋がれた縁の上で実際に働いてくれた人への感謝を
忘れてはならない。

Aさんとは、その後転職を機に音信不通となったが、
やっぱり今も恩義に思う。
顔と声と名前は憶えているから、
何処かで会う事があれば分かるだろう。

そして、件の名医のいる病院は、
元々主治医にするには遠方のため利用はしていないが、
今も頭を下げずに通り過ぎる事はない。

神だけに頭を下げて人を蔑ろにしても、
また神の御業を無視して人の縁だけ望んでもうまく行かない。

まぁ・・・そうゆう事もあるのだよ。

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