絵筆で人々を救った画僧 月僊(げっせん)作品展 

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私は名古屋在住のため、
一年中、名古屋市内の美術館を巡っている。

が、実は、私がかなりお気に入りの絵を見る場所として
「名古屋市博物館」
という場所がある。

実は名古屋市博物館は、
企画展で結構絵が見れる所なのだ!

まぁたまには、そんな博物館で見た絵の話をしてみよう。

名古屋が産んだ天才画僧「月僊(げっせん)」

名古屋出身の歴史的人物と言えば
‟三英傑”
なのだが、
他にももちろん才能豊かな人は居る。

月僊もまたその一人である。

月僊とは、江戸時代の中期~後期にかけて活躍した画家だ。
ただ、一般的な画家と違うのは、彼が僧侶
いわゆる「画僧」なのである。

恥ずかしながら、私はこの人の事を全く知らず、
ある時この名古屋市博物館の「月僊展」の告知ポスターで
初めて名前とその作品の1枚である
「朱衣達磨図」
を見た。

これな、これ。

このポスターを見て、思わず「おぉぉぉ~」
と唸ってしまったんだよ。

この眼光。
西洋画とはまた違う立体感、存在感。

そんな訳で、先日やっと名古屋市博物館の
「月僊展」へと足を運ぶことができた。

展示構成は、以下の5つに分かれている。

  • 第1章 画業のはじまり―復古と革新の18世紀
  • 第2章 信仰―近世仏画の清新な世界
  • 第3章 神仙―ユニークな神様、仙人、英雄たち
  • 第4章 山水と花鳥―人気絵師の多様な題材
  • 第5章 寂照寺の月僊―豊かな交流と温かなまなざし

各セクションごとに印象深かったものを
紹介してみようと思う。

第1章 画業のはじまり―復古と革新の18世紀

月僊は名古屋の味噌屋の子に生まれて、7歳で仏門に入ったそうだ。
(それでなんか売店で味噌売られてました笑)

そこから江戸の江戸の増上寺にて修業するかたわら、
桜井雪館(さくらいせっかん)に絵を学び始める。

ここでは、月僊の作品と共に最初の師、雪館などの作品も紹介されている。

結構最初のほうで、この雪館の作品である
「龍虎蝦蟇仙人図」という
ものが展示されているんだが、
線の使い方が凄いんだよ。

単純な強弱だけではなく濃淡までを用いて、
画面の隅々までも意図を感じさせる。

んで、この雪館という人が仙人の絵を描く人だった
影響なのか、月僊も多くの仙人画を描く事になるみたいなんだよ。

写真は「賀知章騎馬図」
月僊28歳の頃作品とされている。

この絵の中央の‟賀知章”というのは「飲中八仙歌」に
登場する有名な酒豪だ。

私が思う「名画」の条件には、
描かれていない前後の
ストーリーまで容易に想像できる
というものがある。

なんというか‟膨らみ”だよね。
描かれていない所まで思わせる膨らみ。

この1枚などは、特に考えなくても
そして描かれていないのに
知章がこの後ふらふらしながらロバに乗って
帰っていく後ろ姿まで自然と頭に浮かぶ。

第2章 信仰―近世仏画の清新な世界

優れた画家であるのと同時に、やっぱり僧侶なので
当然の事ながら仏画、涅槃図なんていうものも残している。

涅槃図はもう色んな人が描いていて、
私ももう何枚見たか分からないくらい見てるんだけど、

今回もつい目が行ってしまう・・・アナンダ(笑)

月僊が描いても、やっぱりアナンダは倒れていた。
しかも妙に美しく倒れている(爆)

まぁこうゆう宗教画というのは、西洋でも割と形が決まっていて
自由な発想であぁだこうだというのは基本ない分野になってたりする。
(いや衣の色とか色々決まってるんですよ。
絵は自己表現とか自由とかそうゆうのは近代になってからなんだよ)

ただ、その決まりの中で手法などは、
各々の個性だったり時代を臭わせるものがあったりするのが
面白い所。

月僊の仏画で私が一番面白いなぁと思ったのは「四天王図」

これは単純に私が〇〇菩薩とかそうゆうものよりも、
明王とか天が好きっていうのがあるからなんだけれど。
(要約すると強面オッサンの仏好き)

月僊の描いた四天王図で特に面白いなぁと思ったのは、
どの絵にも必ず従者が描かれている部分

「こうゆうの見た事ないかもな?」と思って解説を読んでみたんだが、
実際に従者(眷属)まで書き添える作品は珍しいらしくて、
これもまた描かれていない前後のストーリーを思い起こさせる
要因の一つである。

写真は増長天図。
後ろの従者たちの話声が聞こえてきそうであるし、
またその会話を想像させるものがある。

第3章 神仙―ユニークな神様、仙人、英雄たち

僧侶と仙人というと、組み合わせ的にどうなんだろう?
と思う所があるんだが、
1章の話の所で少しふれたように、師匠の雪館の影響か
月僊は43歳の時に「列仙図賛(れっせんずさん)」という
中国の仙人を紹介する図像集を出版している。

出版物(版画)なので、もちろん原画ではないんだが、
例え線のみのものであっても、
複数人で描かれるものは会話が、
単独で描かれているものであっても
独り言が聞こえそうな雰囲気を醸しているのは
他の作品と変わりがない。

※この本の写真も載せようと図録の写真を
撮ってみたけれど小さすぎて見難いので割愛。

こちらは「仙人図三幅対」

私はこの中の中央‟子英(しえい)”が一番お気に入り。

人が乗れるほど巨大、しかも翼の生えた魚

というのは、幻獣レベルの異形なんだが・・・妙に説得力がある。
そしてその説得力の元が写実性で、
この魚は泳ぐように飛んで、飛ぶように泳いでいる。

魚の部分、羽の部分を分割して考えると
それぞれが単体で機能できる動きをちゃんとしているのだ。

そうして考えると、確かに残された作品は
仙人だとか仏だとか想像上のものが多いんだが、
その前段階として月僊は、現代で言う所のデッサンを
相当やっていたんじゃないのか?
と私は思ったりするんだよね。

想像のベースとして現実にあるものをちゃんと見ている人なんだな。

まぁそれについては思う所があるので、
また後から書いてみようと思う。

第4章 山水と花鳥―人気絵師の多様な題材

月僊は更に山水画なども手掛ける。
絵描きでも得意分野というのは決まってくると思うんだが、
・・・・こちらも天才的だ。
何処まで多様多才なんだろう、この坊主。

いや、正直、私今まで山水画ってちょっと退屈だなって思ってたんだけど、
これは・・・そのイメージが覆った。

展示されていた山水画は、殆どに小さく人が描き込まれているせい
なのかもしれないが、
これらもやはり会話が聞こえてきそうだし、
それを想像したくなる部分がある。

写真は「僊山採芝図」
中央の岩頭で、4人の老人が談笑している姿があるのだが、
実に楽しそうだ。

月僊の書く人々は、どれもこれも何処か楽しそうで、
またその作風から月僊という人の人柄を想像させる。

この縦長の構図は、
掛け軸など長ちょろいもの独特の構図だなぁと思うのだが、
目線を上から下に曲線で誘導していく古典的な構図の取り方であるのに
その意図を読み取る間もなく自然とハマるあたりが、
やっぱり実力なんだなぁと関心するより他にない。

第5章 寂照寺の月僊―豊かな交流と温かなまなざし

月僊は、例え誰に絵を頼まれても必ず画料(ギャラ)を取っていたそうだ。

34歳で伊勢の寂照寺(じゃくしょうじ)の住職に就任しているんだが、
伊勢参りの賑わいを活かして、更にガンガン稼いだらしい。

坊主で、絵描きで、金をガンガン稼ぐ。

この様子は当然「なんだアイツは!」という人もいたそうな。
まぁ今もこうゆう風潮あるよね。
「絵描きが金なんて俗っぽいものに興味持って」とか
「坊主が物欲か」みたいなね。

でも、それにはもちろん理由があって、
別に月僊は贅沢したかったからでも
守銭奴だったからでもない。

絵で稼いだお金だけではなく、
自分の生活までを切り詰めて、
伽藍の再興や参道の整備、
更に貧民救済などをしていたんだ。

しかも、ただ単に稼ぐだけじゃなく
‟お金を預けて増やす”
という資産運用までしていたというのだから
「あ、天才って本当に何をやらしても天才なんだな」
って本当に思ったね。

(この時代もそうゆうのあったんだね。
そういえば江戸時代の資産運用は考えた事がなかった)

画家とは違うこのようなエピソードを聞いて
改めて絵を見ると・・・
こじつけや先入観のせいかもしれないが、
あの会話が聞こえるような雰囲気や
想像のようで地に足がついた写実性の
理由が分かる気がする。

企画展の最後を飾るのは「百盲図巻」

長い長いひたすら長い作品で、
その中身は100人の盲人たちの様々な姿である。

琵琶を弾くもの、談笑するもの、
煙草を楽しむもの、犬に追われて転ぶもの、
またその犬を杖で追い払おうとするもの、
そして、中にはこんな人も!

前に「屁合戦絵巻」が話題になった事があるけれど、
江戸時代の人はオナラ好きだなぁ(笑)

※余談だが、江戸時代には「屁負比丘尼(へおいびくに)」という
姫が放屁をした際に「私がやりました!」と屁罪を被る職業があったらしい。
採用条件と賃金がメチャメチャ気になる。

この絵は一見、盲人をあざ笑うようであるが、もちろんそうではない。
それについてちゃんと月僊本人の後書きがあり、
それによるとどちらかと言えば風刺的な意味合いが強い事が分かる。

月僊の後書きを掻い摘んで説明すると以下のような事が書いてある。

障害というのは天が与えた一つの特徴であり、
何かが不足しているわけではない

琵琶、按摩、自分の出来る事で生計を立てるという意味において
例え盲人でも目の見える人と何ら変わりはなく、
また、盲人であっても天眼を得てあらゆることを見通した者もいる。

しかし、解脱する事なく六道をさまよう者は、煩悩渦巻く真っ暗な
俗世で一生を終え、明るく広い視野を持つことはない。

この図は一つの戒めとなるだろう。

最後の一文が強くそこを表しているが、
この100人の盲人たちは比喩なのである。

人は目が見えていれば、それで全て見えているつもりでいる。
誰しもがそうである。

が、実はそうではない。
人は意外と世界を見ていない。

人の世界は実際には
‟偏見や固定概念といった闇”
に閉ざされている。

月僊は、生活に困窮していた人々や
身体に問題を抱えた人を救済しても
安っぽい同情心からそれをしたのではないだろうと思う。

彼にはどんな人も全て平等だったのだ、多分。
そして物凄く人が好きだったんだよ。
それがあの作品を見た時の「会話が聞こえそう」という部分
なんだと思う。

そして僧侶であっても、
なんかあまり神や仏を崇め奉ってはいなかった気がする。

僧侶で画家という浮世離れした肩書を持ちつつ、
非常にリアリストだったんだと思う。

だから、僧侶という身の上でも
ガンガン稼いでいたんだろ?

現実問題として飢えている人を救うのは
祈りではない。
一握りの米である。

そして祈っても米は降って来ない。
金握って米屋に走ったほうが早い

 

本当、もしタイムスリップできるのであれば、
是非話をしてみたいと思う人。

ちょっとね、正直葛飾北斎とかより、
この人と一晩膝詰めで話し込みたい!!

それくらい・・・なんか私にはマッチする絵、
そして思想や人生もマッチする人だったんだよね。

そんな月僊は、どうやらこのような姿の人のようだ。

これは自画像として伝えられているもので、
後に谷文晁(たにぶんちょう)が描いた肖像とは微妙に容貌が
違うとかいう話なんだが、
描いた年代が違うので、加齢による変化もあるだろ?って事らしい。

絵筆で人々を救う僧

この企画展のキャッチというのは

~名古屋生まれの奇僧、絵筆で人々を救う~

というものだったんだけれど、
見終わって、
物凄い納得したね。

なんか「絵筆で人を救う」というと、
「飾ると波動が上がる絵(笑)」みたいなものを
連想させるんだけれど、そうじゃない。

月僊は、己の‟人としての力”で人々を救ったんだ。

不思議な力、奇跡の力ではなく、
超現実的に人を救済したんだよね。

それって一番凄い事だと私は思ったりするんだ。
それを奇跡と呼んでもいいかもしれないが、
それは月僊自身が自分で起こした奇跡だからね。

先に「あまり神仏を崇め奉っていなかった」って
書いたけれど、一応お坊さんだし、
崇めてはいたとは思う。

ただ、アテにはしなかったというか、
依存先にはしてなかったんだな
って思う。
そして人にもそうさせなかったんだろうなって思う。

なんというか
「それはそれ、これはこれ」
な感じがするんだ。

意識を高める、精神的救済という点においては、
宗教的考えっていいと思うんだけれど、
それってやっぱりまず最低限の生活ができてこそ。
餓死しそうなほど困窮してたらそれどころじゃないし、
そうゆう人を救うのはまず物資なんだよね。

それがあの妙に人間臭い神仏・仙人の元かなぁ?って。

※博物館の公式HPには「釈尊図」も掲載されていて、
後光はあるけれど、なんかこうそこまでキラキラしくも
神々しくもない。
でも、私はそれくらいがいい。

 

私も今後、仏画はやってみたい所で、
今も習作としてチマチマと描いているんだが、
物凄いヒントというか、
落としどころが分かった気がするな。

まぁ私は貧民救済とかは考えてないけれどね。
動物は救済したいと思うけれどな。

そんな訳で、帰りにはしっかり図録を買って帰ってきたというわけだ。
(今回の写真はほぼ図録の抜粋です)

「月僊展」は今月27日まで

さて、この月僊展、今月の27日(日)まで開催中である。
とりあえずあと2日あるので、
お近くの方は週末の休みを利用して是非見に行って欲しい。

科学館などに比べるとイマイチ地味な印象のある
名古屋市博物館だが、実は駐車場もあるし、
周りはお洒落なカフェなんてあったりして、
結構楽しい所だったりする。

オマケに・・・バイクは駐車無料だ!!
(ここ最重要)

そんな名古屋市博物館へのアクセス等は
以下の公式HPからどうぞ。

名古屋市博物館:http://www.museum.city.nagoya.jp/index.php

 

あぁ、本当、早く誰かタイムマシーン作ってくれないかな?
心の底から月僊の説法とか聞いてみたいんだけれど。

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