猫流・暇乞い ~目に見えない生産性~

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飼犬飼猫は、牛や豚という消費動物とは違い
何の生産性もないものと考えられがちである。

が、時に彼らは、
人の交流を円滑にするためのツールになる。

その分かりやすいものが
「犬トモ」「猫トモ」

犬や猫を通して、
本来出会うはずのない人々が出会い、
良くも悪くも人間関係を構築するのだから
彼らもまたこの世界を大きく回す
歯車の一つなのである。

「マル」の訪問

あれは、今年の1月の終わりから2月の始めの事だった。

ある時、画室にしている部屋の玄関ドアを開けると
‟彼女”がいた。

「ありゃ、マルちゃんじゃないか」

ドアが開くのに驚いてパッと走っていったのは、
「マル」
という猫だった。

マルとというのは、
以前私の動物を寄せる変な特性について語った際にも登場した
我が家の道を一本挟んだ北側の家の飼い猫だ。

彼女の基本的位置は家の門扉横の塀の上、
あるいは、家の横のガレージの中で
時折、うちの駐車場に出張してくる。

一見、‟外にも出れる気ままな飼猫”だが、
彼女もまた元・野良猫であり、
保護主であるここの奥さん曰く
反対の通りで子供らにボールの代りにされていたとかなんとか。

そのせいか、外に出られる環境の割に
家から離れた場所でマルを見かける事はまずない。

そのマルが、何故か私の部屋の前に来ていたのである。

※その日のtweetを証拠として貼っておく。

彼女の家から我が家まで
距離としては、50mも離れていないし、
2階に通じる螺旋階段は駐車場からダイレクトに
昇れる位置にある。

人も自由に昇り降り出来るが、
それ以上に猫も自由に往来できるため
近所の猫がそこを歩いているのは
日常風景。

だが、マルがその階段を昇り
部屋の前まで来た事は一度もなかった。

更に彼女が駐車場の辺りをウロウロするのは
夏がメイン。
この時期にやってくるのは非常に珍しい。

 

一度きりなら「たまたま通りがかった」
で済ますのだが、
それから三日にあげず、彼女は
私の部屋の前へやってきた。

ある日は、この日同様に扉を開けたら立っている。
ある日は、バイクで帰宅すると駐車場から
部屋の前に佇んでいるのが見える。

ここまでなら、
「なんだ、そんなに私に会いたかったのか(笑)」
で済む話なんだが・・・
この時の彼女は私に絶対に近寄らなかった。

いつもの調子で近づけば、サッと身を翻す。
が、そのまま走り去るのではなく、
一定の距離で止まってこちらをじーっと
見ている。

常日頃、何処を撫でまわしても逃げない、
それどころか、抱き上げればそのまま喉を鳴らす。
オマケにわざわざ走り寄ってくることもある猫が
この数日間の間だけは
一向に近寄って来ないのだ。

ここまで普段と違う事が重なれば
流石に「あれ?」と思う。

しかし、どれだけ「あれ?」と思っても
理由は分からない。

そう思って過ごすうちに
またパタリとマルの姿を見かけなくなった。

塀の上にもいないし、駐車場にもいない。
当然ながら我が家の前にもいない。

再び「あれ?」と思いつつも、
季節は冬である。
きっと寒いから家の中でぬくぬくしているのだろう。

マル、旅立つ

そんな事を思いながら、
巨猫の介護をして1か月。

あれは、巨猫が異界に居を移した
数日後だったと思う。

犬の散歩で早朝にマルの家の横を通ったら
飼主である奥さんに声をかけられた。

ここの奥さんとは、
元々猫が切っ掛けで話をするようになり、
そのお蔭でフクが事故にあった時
知らせに走れたわけだ。

※たまたま、私の目の前で車と接触したっていう。
打ち所が悪くて駄目だったんだが、
まだ温かいうちに家に帰れたんだわ。

左のキジトラがフク。二匹が地上にいる時、最初はこんな感じでリード付きだった。フクは元々もっとぽっちゃりとした猫だったが、この頃は大分痩せてしまっている。

奥さんに「猫は元気?」と問われて
嘘をつくような事でもないから
「いや、数日前に亡くなってね」
と、答えるじゃない。

すると、
「いや、実はね、うちのマルちゃんも
3日ほど前に亡くなったのよ」
と言うのだ。

奥さん曰く、2~3週間前から元気がなくなり
そのまま自宅で息を引き取ったのだと。

2~3週間前といえば、
やたらと部屋の前にいたあの時期の直後だ

猫流・暇乞い

奥さんから、マルについての
詳しい状態は聞いていないが

歴代の猫を看取った経験から言うと
うちに訪問していた時、
体調変化についてマル自身にも何の自覚もない
可能性も考えられる。

※以前の主治医曰く、緩やかに症状が悪化した場合
数値的にみて本来なら弱って当然の場合でも
体が順応してしまい、
限界ギリギリまで元気だったりする事が猫には多いそう。

ただ、猫は人以上に見えない様々なものに
敏感な所があり、
本人すらも理由が分からないまま
いつもと違う行動を取っている事も
あるのかもしれない。

 

あのマルの不思議な訪問の日々は
今となっては

「マル流の暇乞い」

と思うしかない。

いや、別に偶然でもいいのだけれど、
フクが亡くなって2~3年の間
ずっとマルを見てきたけれど、
こんな事一度もなかったからな。

そして暇を告げに来た理由を考える時、
思い当たるのは、

自分と同じく旅立つ仲間が
そこにいたから

かもしれないし、
あるいは・・・

自分と共に暮らしたフクの最期を看取ったのが
私だったと知っていた

のかもしれない。

 

 

相方のフクもそうだったが、
マルもしばらくの間
生前と同じように
塀の上に座っていた。

そして、うちの猫の四十九日が過ぎる頃には、
やはり彼女も消えていた。

猫は消えたが、この家の奥さんとは
今も会えば世間話をするし、
動物全般が好きな奥さんは、
柴子もよく可愛がってくれる。

フクもマルももうこの世にはいないが、
彼女達が繋げたものは
まだこの世にきちんと残っているのだ。

そんな‟目には見えない生産性”
犬や猫は持っている。

 

さて、今度、彼女達に会えるのは
一体いつなのだろう?

会えたら、彼女の主人たちから
今も私が色々なおすそ分けを頂いている事について
重々にお礼を言わなければならん。

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