八幡社のチョビ髭

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心霊現象や霊視の類は、よく「見える」と表現される。
まぁ文章なら「視える」と書く人もいる。

このように言われるとあたかも目玉で物理的に目視しているような印象がする。
が、当然の事ながら物理的に存在しないものを物理的に目視する事は不可能だ。

では何故視えるのか?

暇人好奇心旺盛で探求心がダダ漏れの私はこの
「視える」現象についてじっくり考え、一つの結論を出した。

その結論を短く述べるのであれば以下のようになる。

「怪異は人間の認知を捻じ曲げて頭に入ってくる」

認識・認知能力を触られているので、
入ってきた情報の内容によっては、
“自分が怪異を見ている”という事にすら気付かない場合も多い。

例えば、絶対に人が入れない隙間に人がいても、
その場では疑問に思わなかったりする。

そして後から思い出して
「さっきは不思議に思わなかったけれど、よく考えたら何かおかしい」
となるのが・・・“怪異あるある”だ。

今日は、そんな「ナチュラル怪異」の一例。

裏の八幡

私は以前、某八幡神社の真裏に10年近く住んでいた。

住所だけ言うと高級住宅地っぽい所にありながら、
2DK、ペット可で5万!!
という破格物件。

引っ越しの時に猫運んでくれたタクの運ちゃんには
「本当に大丈夫なの?」
って凄い心配された(笑)

まぁ事故物件ではないが、お約束のように
ベランダに出るとすぐに神社だった(笑)

その頃は前の家で裏の主に随分世話になったので、
前より神社に興味は持っていたが、
相変わらず
「目の前にあるから行く」
というスタンスは変わらない。

よって、祭神なんて一ミリも気にしてなかった。
もっとぶっちゃけてしまえば、あんまり神を意識した事がなかった。

そもそも、家の裏に神社があるのが当たり前で、
前を通り過ぎる時に断り入れるのも当たり前。
信仰とかそんな高尚なものではなく、長年染みついた習慣なのだ。

だから「あそこの神社は神がいる」とか
「あそこはいない」とかそんなの気にした事がない。

たまにこうゆう事を偉そうに言う霊能者気取りの人いるけどな。
だからどうした?って話よ。

いようがいまいが、神社は神の家。

大体よ、仮にそこにいても、そんな事を偉そうにいう奴の
私欲にまみれた願いは聞いてくれないと思うぜ?(笑)

 

そんな訳で、そこの八幡さんにも毎朝通っていた。
別に願掛けがあるわけでもなく、毎朝
「おはようございま~す」
と挨拶するだけ。

感覚的には近所のオッサンに挨拶するのに近い。

え?敬意?敬意って言ってもなぁ。
私にとってとりあえず神社と電信柱は“あって当たり前”だから、
敬意って言われても・・・なぁ?

時代錯誤なチョビ髭の神職

ある時、拝殿の賽銭箱の前に立って参拝していると、
奥にお公家さんみたいな格好のオッサンが座っていた。

烏帽子というか、
平安貴族が絵巻で蹴鞠をしている時に被っているようなモノを
頭に乗せて、やはり平安貴族的な着物を着ている。
色は紫か黒・・・だったのかなぁ?

手には笏。
アゴ髭もあるけれど、それより鼻の下のチョビ髭が気になる。

いずれにしろ、時代錯誤なその服装が面白いくらい良く似合っている。

確かに現代においては異様な服装だが、そこは神社である。
しかも拝殿の中である。
当然“そこの神職”だと思うわな。

さらに立派なチョビ髭・着物・年齢・威風堂々が揃えば
「宮司かな?」って思う。

だから普通に会釈した。

チョビ髭はこちらに気付いていないのか微動だにしない。
まぁなんかのお勤めの最中なのかもしれない。

そこは敷地規模こそ小さめだが鬼門封じの八幡で、
それなりに有名らしい。
別に宮司っぽい人が、宮司っぽい恰好で、
拝殿の中にいるのは不審でも何でもない。

だから、当然私も何の疑問も持たなかったんだ。

チョビ髭春夏秋冬

それから毎日見るわけではないが、たまにそのチョビ髭はいた。
いつも同じように雅な服装で同じ場所に座っている。

名古屋の殺人的な真夏の暑さの中であっても姿勢を崩すこともなく、
いつもピシっと笏を持って鎮座ましましている。
こっちが汗だくになっていても、涼しい顔して微動だにしない。
冷房いらずの心頭滅却具合である。

そして夏の暑さから考えられないほど冷える名古屋の真冬も
同じ格好で座っている。
暖房器具などない拝殿で寒さに震えて猫背になる事も手をこすり合わせる事もなく、
やはりそこに鎮座ましましているのだ。
・・・まさかあの下にヒートテックでも装着しているのか?いやいやいや。

このような事があっても尚、このチョビ髭の事は
特に誰にも言わなかったと思う。

言った所で
「あそこの神社、普段から宮司っぽい人が正装で拝殿にいるんだよ」
で終わる話だ。
他に何か付け加えるなら‟チョビ髭”しかないだろう。

確かに深夜のファミレスにあの風体の人がいたらネタだし、
逆にあそこに目だし帽をかぶった黒づくめの男が座っていたら、
即110番事例だろう。

が、別に神社だし面白くも珍しくもない話だ。

だから、私はその話を誰にもしなかった。
ダンナにもジジイにもしなかった。
で、そんな調子で数年過ぎた。

チョビ髭の正体

そこへ越して5年と少し経った頃、厄年が巡ってきた。

私自身あんまり厄などは意識していないんだが、
前年、私が初詣に行くと‟何か”が、
「身代わり鈴をお持ちなさい」
と声をかけてきた・・・という一件があった。

神社に足繁く通っても社務所へはあまり行かない私は、
そもそも‟身代わり鈴”というモノを知らなかったのだが、
声のままに社務所へ行くと、その年の干支を模した鈴があるじゃないか。

まぁ助言通り身代わり鈴を買って帰ったのだが、
その話をジジイに言うと
「・・・・お前、前厄じゃあなかったか?」
と言う。
身代わり鈴というのは、結局名前の通り本人に代わって厄災を受けたり、
また厄を払うものなんだが・・・・
ずぼらな私に‟何か”が持つようにわざわざ言ってくれたらしかった。

まぁそんな訳で、本厄はこの八幡でやってもらう事にしたんだ。

 

先に書いた通り、知っている人は知っている神社だから
厄払いも40人くらいはいて、
宮司を含む神職も3~4人はいたと思う。

当然、私はそこに例のチョビ髭もいると思った。
初めてチョビ髭が動いて喋る所が見れるのかな?って思った。

が、チョビ髭の姿はそこになかった。

あんなに、いかにもここの関係者と言わんばかりに座っているのに。
しかも、さも偉そうに髭まで生やして、
うだる暑さの中でもあの服装でいるくらいなのに、
ここの関係者じゃない・・・だと?

それとも、今日はたまたま休みなのか?
他に用事が合って他所へ行っているのか?

そう思っていたのだが・・・・
よくよく考えて気付いた。

絶対に見えるはずがない時も私はチョビ髭に挨拶していた事実に。

 

そこの八幡さんは拝殿に向かって右にも参道があって奥へ行く事が出来る。
まぁ一番奥まで行けば、私のアパートとの境目だ。

参道から右手は末社と道路、左手に拝殿がくるが、
拝殿には当然窓もなく参道からは壁しか見えない。

にも関わらず、
なぜか私には参道からチョビ髭の姿が見えていた。

だから、参道にいても
「ちょび髭こんにちは~」
とナチュラルに会釈していた。
(不思議と壁の存在スルー)

酷いと敷地の横の石垣の下を歩いていても、何故かいるのが分かった。
石垣の下だから、そもそも境内が見えないのに、その事に何の疑問も
持たず、やっぱりナチュラルに会釈していた。
(やっぱり石垣もスルー)

これをどうゆう事かというと、つまり、
目で見てたんじゃなく、数年に渡り
弄られた認知を目視したものと勘違いして
怪異を人間だと思って挨拶してた事になる。

 

厄払い終了後、今更かよ?と思いつつ神社の祭神を調べた。

勿論、今ならそんな事調べなくても知っているけれど、
当時は本当祭神気にした事なかったからな(笑)

当然、八幡社の主はどこも応神天皇で、
一緒に出て来た画像の絵姿は、
確かにチョビ髭と似てるっちゃ似てる。

「まぁ自分トコの社やし」
と、PCの前で一人納得したわけだ。

 

後々、この話をダンナやジジイに言うと
とりあえずあの二人はそこの八幡社で
そのようなものは見た事がないという。
(ってか、あまりそこには行かない)

そもそも霊能者だって、おいそれと
神の姿なんぞ見れないのが普通らしい。

当たり前だ、いわば城のお殿様が小間使いのように
その辺をフラフラしているわけがない。

そんな殿様は暴れん坊将軍と水戸黄門だけで十分だ。

 

「お前はどうして皆が見るものは見ないのに、
普通は見れないものは見てくるんだろうねぇ(;・∀・)」

私が変わったモノを見る度に、ダンナは首をひねるが・・・
そりゃ私も知りたい所だ。

ただ、八幡さんはうちの氏神だし、何か見えても不思議ではない。
私が怪異を見る、特に神社仏閣で見る条件には
“自分に関連性のあるもの”
というものがあるからな。

オマケに、裏の神社が白山から八幡に変わっているのに・・・
ここ、白山の祭神も一緒に祀ってあるんだよなぁ(;・∀・)

まぁそんな訳で、あれが本当に応神天皇かどうかは怪しい。
ひょっとしたら、応神天皇のお付の人かもしれないし、
歴代の宮司かもしれない。

ただ、今思い返してもあれは並の怪異ではなかったと思う。

通常、いくら普通に出てきても、
存在感が薄かったり質感的にペラかったりしてすぐに分かる。

こんなに何度も、何年にも渡って気付かなかったのは、
このチョビ髭だけなのだ。

怪異は意外とさり気なく地味に出る

別に他の怪異と合わせて、このチョビ髭も
私の幻覚とか妄想でもいいんだが、
それにしても地味な妄想で幻覚だ。

どうせ妄想だったらもっとこう派手に出てきて欲しい。
紛らわしいから

いや本物の神でももっと神らしく出てきて欲しい。
ありがたみに欠けるから

確かに服装的にはマッチしているが、
どうせならオプションで後光とか背負って欲しい。

そこまでしてもらったら、それこそ末代まで語り継げるが、
これではブログネタが精々である。

しかし、他の人の神と思しきものとの遭遇譚でも
非常にショボい恰好で普通に出てきて、
声をかけられたものの、それはありがたいお言葉や、
予言などではなく「ご苦労さん」だったそうだ。

昔話でもお神が素性を隠して人に関わる時は、大体普通か、
もしくは普通以下のヨレヨレの恰好で表れる話が多いし
・・・存外そんなもんかもしれないな。

 

いずれにしろ、
怪異とはそのくらいさり気なく出てくる時もある
っていう話だ。

だからな、今まで“不思議なものを見た事がない”と
思っている人も気付かないだけで、

本当は・・・・遭遇しているのかもしれないよ。

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