犬の恩返しは死ぬまで ~めぐる縁~

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通常であれば、幽霊の類は‟たまたま”でなければ見えない私が、
何故か、生前長くご近所付き合いをしていた
ラブラドルレトリバーの‟彼女”
行く先々で目撃する事になった。

※そのあらましはこちらから「犬の恩返しは死ぬまで」

そして、その姿は「幽霊」と呼ぶのがためらわれるほど、
いつもこの上なく幸せそうだった。

死して叶う願い

彼女がS家の人々の行く先々に表れていたのは、
単純に「家族と一緒にいたい」という願いからである。

別にこれは生前寂しい思いをしていたとか、
犬に留守番をさせるなという話ではない。

やっぱり犬は何処までも犬なのだ。
「家族」というのはあくまで心情の話で、
どう頑張っても彼らは劇場などの公共の場には入れない。

仮に何処へでも連れていけるとしても、
人と違う生活サイクルで生きる彼らが
人の都合に合わせて連れまわされるのは負担になるだろう。
そして人もまるっきり犬中心では、
生活が成り立たない。

違う種が共存していくためには
「程よい所で線引きをする」というのが、
お互いの幸せのためなのだと私は思う。

そして犬にしても猫にしても
教えればそれを覚える。
だから人と犬猫は大昔から非常に近い距離で共存していけているのだ。

ただ、それと心の奥底に眠る望みは別だ。

肉体というのはいわば精神を囲う檻である。
そこから放たれ物理的限界の垣根が消えた時、
人も獣も自分の心の奥底にしまっておいた願いを叶えに行く。

そう、彼女の場合、いや犬の多くは
愛のままに我儘に主につきまといたい!!
と思っているような気がする。

「犬の恩返しは死ぬまで、猫の恩返しは死んでから」とはこの事なのか。

猫は生前にそのツンぶりで散々主を振り回し、
最期は幸せだったのかどうか分からん顔で死んでいき、
死んでから最期のご奉公と言わんばかりにデレ全開で
周りをウロウロする。

犬は生前、必要とあらば留守を守り、
遊んで欲しくとも主が忙しそうなら諦め、
何処か割り切って互いの立場を守ったまま過ごす。
が、死後はその鬱積を晴らすかのように主につきまとう。

ま、「飼い主の周りにしばらくいる」ってのは
犬も猫も変わらんし、どちらも好意からなんだが、
微妙に方向性が違う気がする。

伝えて欲しい事

そうして彼女が願いのままに家族について回る姿を私は度々見ていた。

しかも、‟私が見ている”のではない。
‟彼女”が見せているのだ。
そしてこの押しの強さもまた彼女の解放された心なのだ。
困ったな・・・・。

お前が家族をどれだけ好きなのかも
大事なボン(S息子)が嘘を言ってない事も
他の誰が知らんでも私は知っているよ。

それを私の心に留めておくだけじゃ駄目なんか?
だってしょうがないだろう、
お前の主にはお前の姿は見えないんだから。

ってな具合で、彼女を見かける度に言ってみたんだが、
彼女は一点の曇りもない期待に満ちた目で
私を見続けるのだった。

何だろうね、どうしても私の言葉が必要な時があるっていうのか?
それは、それはいつなんだろうなぁ?

そう思っていたのだが、やっぱりその時というのは訪れる。

後継者

彼女が‟一応”彼岸に居を移し、半年経つか経たぬかという頃、
S家には再びラブラドールがやってきた。
彼女と同じチョコレート色の毛皮をまとったメス。
ま、子犬と呼ぶには大分大きい子犬だったけどね。
(生後4か月で既に柴子よりデカい)

この新しい‟彼女”の話をする前に
愛犬愛猫その他「動物」と分類されるものを
家族や友とする人々がふと思う事に触れてみよう。

自分は誰を見ているのか?という不安

前の犬や猫と死に別れ、また再び家族を迎える時、
誰しもがふと考える事がある。

自分はちゃんと新しい子を見ているんだろうか?
前の子の身代わりにしているのではないだろうか?

特に新しい子がやってくるのが少し早かったりすると、
なおさら気になる。

確かに新しい家族を迎える、また再び犬や猫、鳥と暮らせるのは
楽しい。ワクワクする。
しかし、そう思う事が先代への裏切り行為のように感じてしまい、
何処か後ろめたい気持ちが残る。

 

私は犬猫の肖像なんかもやらさせて頂いているからか、
お客さんにそんな話をされる事も多い。

「死んだあの子は自分の居場所がなくなって悲しがるんじゃないか?」

この思いは人によっては新しい家族を迎えた後も
いつも何処かに引っかかり続ける。

特にその子を心底大事にして、最期まで面倒を見続けた人ほど思い続ける。
そして思えば思うほど、おいそれと人には言えんのだ。

何しろ中にはそのような気がかりを口にしただけで
「ペットロスだよね」
と、知ったかで言ってくる奴もいるしな。

もちろん、そうゆう事ではない。
ただ、誰しもがそのちょっとした心残りを表に出してしまいたいだけなのだ。
それは懺悔でもあるし、単純な問いでもある。

私はこの問いを人から受けると決まって言う事がある。
これは私が実際に経験したし、これ以外の答えが口からでないのだ。

代わりを求めるのは、いつも置いていかれる側ばかりではない。
先立つ者が代わりを求める事もある。

S家ついて言うならば、この新たに巡ってきた二代目チョコラブとの縁は、
一代目の彼女が望んだんだものだった。
これから旅立たねばならない自分の代わりに、二代目を連れてきたんだ。

獣のこころ

獣にも当然‟心理”というのはある。
基本的な喜怒哀楽は当然だが、犬や猫という知性の高いものになれば、
もう少し複雑な心の動きをする。
ただ、その在りようも動きも人とは少し違う。

彼らが愛情を求めるのは、それが生存戦略でもあるからだ。
これは動物に限った事ではないが、
庇護欲を掻き立てるというのは、
もうそれ自体が戦略のうちなのだ。

しかし、長く続く人と獣の共生の歴史の中で
いつしか利害以外のものも確かに生まれている。

人が損得抜きで彼らを愛するように、
彼らは彼らなりに人が好きだ。

別にこれを動物好きの妄想だと思ってもらっても構わないが、
実際に何年も寝食を共にして過ごせば
利害だけでは説明のつかない事は幾らでもある。

うちの柴子なんかもそうだが、
どれだけ食い物をチラつかせても
「気に食わん奴には絶対寄らない」
という犬も確実にいるからな。
(噛みついたり吠えたりもしない代わり、
余程気に入った人にしか甘えないんだよね、あいつ)

人が時に「金の問題じゃねぇんだよ!!」とキレるように、
彼らにも「飯の問題じゃねぇんだよ!!」という事もある。
世の中、損得だけでまわっているわけじゃない。

そして、専門家ではないものの一介の動物好き、
彼らの姿を描く絵描きとして長年観察して思うのは、
彼らは、
主が自分に向ける笑顔が一番好き
という事だ。

犬や猫が主にしか見せない顔をするように、
人も獣にしか見せない顔がある。
その顔が彼らはとても好きなんだ。

その顔を取り戻すために、時に彼らは自ら後継者を連れてくる。

それがどうゆう基準で選ばれるのか、
また執行される場合とそうではない場合の違いまでは
私には分からん。

可能性としては「ここにはまだ犬(猫)が必要なんだ」
と先代、もしくは更に上の縁とか因果を統括する誰かが判断し、
その時適任者がいるとそうゆう事になるんだろうな。

仮にそうじゃなかったとしても、
私は変に操を立てる事はしなくていいと思っている。

獣は人以上に「代替わり」をよく分かっている。
人のような理不尽な独占欲や嫉妬は彼らとは無縁だ。
犬や猫が嫉妬深いという話は聞くし、それはよくある事だが、
人の嫉妬とは中身が違う

私は昔から不思議な話を聞く事も多いが、
「新しい家族を迎えたら、怒った先代が化けて出た!」
なんて話だけは聞いた事がない。

与えられる空席があるならそこに後悔という荷物は置かず、
新しい命にその座を与えればいい。

そして今度も最期まで大切に育て慈しめばいいのだ。

辛いからと無理に関わらないように過ごすより、
そのほうが先代たちもたまに戻ってきた時安心するだろう。

 

そんなわけで、S家にやってきた2代目を紹介された時、
私には「あぁ、彼女の後任か」とすぐに分かった。
別に前の彼女と同じチョコラブだから・・・ではない。

これも‟怪異あるある”の特に理由がない強い確信だ。
これが起きると、もう自分にも他人にも嘘は言えない。
最後の抵抗があるとすれば、知らぬ顔の半兵衛を決めこむ事だけだ。

‟新しい彼女”は主以上に彼女が望んで縁を結んだ、
紛れもない彼女の跡継ぎだ。

そしてS嫁さんがお決まりの・・・前の犬を可愛がった人ほど気にする
あのお決まりの事を口にした。

あぁもうこうなっては、
私としては自分の定めた禁を犯す事になるが、
もう口を閉じたままには出来ないのだ。
多少、掻い摘んでだが、今まで見ていたものを説明させて頂いた。

まぁ凄い変な顔されたし、別にこれがきっかけってわけじゃないが、
それからしばらくして私も前の住いの傍に行く用事がなくなったので、
結局、そのまま疎遠になり今はもう付き合いがない。

ただ、この話以降、疎遠になるまで何度かS一家とは会っているが、
これ以降一度たりとも彼女の姿を見る事はなかった。

S家に後任がやってきたからなのか、
それとも彼女の望みを私が果たしたからなのか、
それはもはや分からないし、どうでもいい事だ。

彼女の残した輝き

もう長い事、境界の向こうの住人達と関わっているが、
その無数に見た怪異の中、
特に獣の怪の中でも、
彼女は非常に稀な例だった。

私が方々で見た彼女は、いつも誇らしげで明るく輝いていた。
比喩でもなんでもなく、
その笑顔はいつも内側から眩しい光が差していた。

彼女自身は寿命を迎えた事に何の悔いもないし、
12年皆に可愛がられて幸せだったんだと思う。
それがあれだけの輝きになって私には見えていたんだろう。

今まで散々幽霊っぽいものを見てるが、
あんなに綺麗な光を放つやつは初めて見た。
(あれだけしつこく“アイキャッチ”されたのも初めてだったけど)

それについては・・・・多分、彼女が知っている人間の中で
一番チャンネル合わせやすく、
なおかつ自分の存在を否定しないのが私だった

・・・・というだけの事で、
彼女の人選はそうゆう意味で適格だったのだ。

何しろ、やたら受信範囲だけは広くて、
その癖チャンネル主導権を持ってないんだから。
オマケに人に与える分の慈悲を全部獣に与えている阿保だ。
犬にとってはさぞかし適任だっただろうよ・・・・

彼女は私が見ているものを伝えて欲しかったのだ。

あの美しさがそのまま彼女の家族に対する気持ちだったし、
それをあそこまで大きく育てたのはS家の人々だ。

その集大成を私はずっと見せられていたんだ。

でもなぁ、無茶言うな。
あんなのどんな文豪だって正確に伝えられるもんじゃねえよ。
筆舌にも尽くしがたいが、絵にも描けない美しさってアレなんだよ。
ダヴィンチ師匠だって無理だよ。
むしろ見たら壁画もモナリザもほっぽり出して永久にアレ描くよ、多分。

偉そうにしてたってな、人はいまだにあの輝きを正確に伝える術を持ってねえ。
それだけの生き物なんだよ、人は。
まったく、どれだけ人が好きだったんだか。

・・・・・これだから動物には勝てん。

巡る縁の果て

余談だが、S家にお邪魔した時、彼女のお骨の前に小さな写真集があった。
中を見せて頂くと、
まだハイハイくらいのS息子くんと若い彼女が同じポーズで写っていた。
二枚目は少し大きくなった彼と彼女がやはり同じポーズで写っている。
三枚目も同じく。
ポーズは一緒で写っている二人がちょっとずつ変わっている。

最後の写真は、二人共同じくらいの大きさになって並んで笑っていた。

彼女が繋いだ縁は本当に沢山あると思う。
そもそもS一家と私の縁だってそうだ。
そしてうちの邪払いの黒猫二代目と私の縁もそうだ。

今まで“弟”だったS息子くんは、新しい彼女にとっては“お兄ちゃん”だ。
ははは、どうやら息子くん、2代目の彼女には強く出れないらしい。
一人っ子の彼にとっては初めて出来た‟妹”だからな。

彼が大人になる頃、再び彼女との別れがやってくるのだろう。
しかし、切れたように思える絆は複雑に絡み合い、
また形を変えて現れるんだろうよ。

お互いに諦めない限りはな。

 

動物を飼ってる人の中にも
「動物は人より下だから」
なんて言う人もいるが、私はやはりそれは違うと思う。
確かに人間が躾や管理をするが、それ以上に彼らから学ぶ事はとても多い。

私も彼らが好きだから常々
「なんでこいつらは寿命が短いのだろう?」
と思ってしまうのだけど・・・・

こうゆう“巡る縁”を人間に見せるために、
あえて彼らは短い一生のままなのかもしれないと思ったりもする。

私は縁というのは、あたかも遺伝子のように螺旋を描いて回っていると思っている。
その螺旋と螺旋の交差上で色んなモノが出会い、別れていくのだ。

ただ、人間の低い視線では自分が螺旋の中にいる事も分からないから、
彼らが小さく廻って見せてくれているような気がする。

“自分たちが大きい螺旋である”というのではなく、
“下に小さな螺旋があるように、この上にもっと大きな螺旋がある。
そしてそれを包括する更に大きな螺旋がある”

まぁこうゆう事だな。

神の作りし大きな螺旋の彼方で、
私もまた何処かで彼女に会いたいものだ。

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