“神さんのかあさん”のご神託

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私が人生で最初に会った拝み屋は
“神さんのかあさん”と呼ばれる、
小柄で何処までも普通の婆ちゃんだった。

祈祷をしている様子もきっと知らない人が見たら
ただの信心深い婆さんが祝詞を上げているようにしか
見えなかったのではなか?と思うほど、
仕事風景も服装も普通であった。

が、今だから思う。

意外と本当の拝み屋とはそうゆうものかもしれない。

真夜中の奇行

確かあれは小学校3年生の頃だった。

ある時から朝起きると、
その度に母親が物凄く訝し気な顔をして
「あんた、大丈夫?」とか
「昨夜、起きてたの?」
と聞いてくるようになった。
その後ろでやっぱり親父も微妙な顔でこちらを伺っている。

それを何日か繰り返した後、母が
「あんたね、毎晩毎晩夜中に泣きながら
家の中を歩いているんだけど覚えてる?」
と、困惑しながら聞いてきた。

・・・・そんな覚えは全くない。

あ、いや、覚えがあるといえば覚えがある
ただし親とは認識が違う。

私には確かに泣いている記憶はある。
が、それは私にとって夢の中の出来事だ。

“何か巨大なものに追い回され、
泣きながら逃げ回るを見ている”

私にとって、それは何処までも夢の世界の話だ。
しかし、実際には現実にそれをやっていたって事。

親の話では、この時はどれだけ声をかけても聞こえている様子はなく、
ひとしきり歩き回ると、自分で二段ベッドの上へよじ登り、
勝手に寝るらしい。

たまにこれを数回繰り返したり、
時にはその場でうずくまって寝入ってしまうらしい。
(寝入るといっても、そもそも寝ているんだけどね)

 

話の流れ的に“何かがとり憑いた”と期待するだろう?
なんかこう、もっとオカルティズムな展開を期待するだろう?

が、これ以外の異変は一切ない。

別にいきなりオッサンの声で喋りだすとか、
夜中に冷蔵庫の生肉を貪り食うとか、
ケンケン鳴きながら垂直飛びをするとか
首がクルクル回るとか

・・・そうゆうドラマティックな事は一切ない。

本当に夜中に泣きながら徘徊するだけ。
そしてそれ以外は、めちゃくちゃ普通。

強いて言えば、夜中にそれだけの事をしているので
昼間眠くてよく寝ていた。
そして、昼間眠っている間はどうってことない。
更に毎週末に泊まりで行く母従妹の家では絶対にそのような事はない。

コレが起きるのは“自宅の深夜限定”だった。

 

とはいえ、いきなり「なんか憑いた!!」って言うほど
うちの親だって馬鹿じゃない。

パッと見「夢遊病」や「夜驚症」なので、
最初は病院に連れていかれた。

ちなみに我が家の向かいは精神病院という素敵立地だ(笑)
オマケに母はそこの受付だ(爆)

・・・が、検査をしても全然異常がない。
そして異常がないので当然治らない。

で、あれやこれやとした挙句、
連れていかれたのは“神さんのかあさん”の家だ。

神さんのかあさんの家へ

おばちゃんの家は母実家からさして離れてない所にあった。

別に入口にお札がペタペタ貼ってある事もなく、
ドラマに出てくるような、物凄い庭園のあるお屋敷でもなく、
ごく普通の何処にでもある家だった。

ただ、通された部屋には見た事もないような立派な祭壇があり、
私はその日初めておばちゃんが白い着物を着ているのを見た。

おばちゃんはいつもの調子で
「寝てる間に見たもの、おばちゃんに話してみ」
という。
私が話す事をおばちゃんはただ「そか、そか」
と淡々と聞いていた。

私がおばちゃんを密かに好きだったのは、この部分だ。

何か不思議な事を語っても親のように怒りもせず、
祖母のように可哀想なものを見る目もしなかった。

不思議な話をしても、おばちゃんは
「嘘をつくな」とか
「お前の心が弱いからだ」と
言うような事なく、
あたかも世間話を聞くように、普通に話を聞いてくれた。

ご神託

普段ならこのままお祓いなのだが、
この日は何故か
「ほんなら、神さんに聞いてみっからな」
と言った後、私に背を向けていつものように拝み始めた。

おばちゃんが拝み始めると程なくして“アレ”
やってくるのだが、この日は少し様子が違った。

いつも舞い降りる気配は薄絹のようだったのに、
この日は“緞帳(どんちょう)”が降りてきたような重厚感だ。

その重い気配がユルユルと動くのに合わせるかのように、
祭壇の大きな蝋燭の火が揺れたり、大きく伸びたり細くなったり
不思議な動きをしていた。

「裏の狐が、犬を他所にやってくれというとる」

ひとしきり拝んだ後、おばちゃんが振り返ってそのように言う。

“裏の狐”っていうのは、実家裏の山にある稲荷社の白狐の事だ。

うちの親は‟稲荷社の狐”だと思っているが、
実際にはその横にある山神さんのお遣い狐だ。

「犬を退けて欲しい事をあんたさ頼みに来とるが、
あんたが聞かねで逃げるもんで、しかたねく追っかけとるんだと。
なに、狐が話聞いて欲しかっただけだぁ」

要するに、
“裏の狐が犬を嫌ってそれを何処かにやってくれ”
とのたまっているのが、今回の原因らしい。

確かに、この現象が起こる1~2か月前から我が家では犬を飼い始めた。
狩猟が趣味の親父が猟仲間から貰ってきたメスのポインターだ。
成りこそデカいが、中身はまだまだ子犬で、
猟犬としての訓練も入れていなかった。

私「どうして狐は犬が嫌いなんだ?あの子はまだ子犬だよ」

「狐は神さんのお遣いっつっても獣だもんで、猟犬と猟師が怖いんだ。
狐が怖いとか苦しいって思ってんのが、
言いてえ事より先にあんたさ伝わってしまったんだ。
ま、仕方がねぇ。犬は諦めて人に譲んなさい。
お母へは、ばっちゃから話しとくかんな」

所で・・・・と更に付け加える。

「あんた、その年になってもまんだ“見えちまってる”みたいだなぁ。
どれ、障りがないように神さんにお願いして
見えねくしてもらうかね。

神さんは悪さしねぇけど、お姿が怖いでな。
子供はあんまし見るもんじゃね

そう言って、今度は私のお祓いを始めた。
勿論、これもとっても普通のお祓いだった。

何しろ、おばちゃんの話から推測すると、
確かに夜な夜な狐はやってくるが、
やってくるだけで憑いているわけではないのだ。

よって、お約束みたいなドラマティックアクションは一切ない。

最後にはいつもの
「神さんついとるでな。心配すんな」
と言われ、お札とお守りみたいなのを持たされ、家に帰された。
(確かお札は枕の下、お守りはいつも持って歩いていたな)

このどこまでも普通の地味なお祓い。
一体どれだけの効力があったのか?と思うんだが、
その日から私は件の悪夢を見なくなった。

深夜徘徊は時々あったようだが、
今までのものに比べると数も少なく、
様子もただフラフラしているくらいだったらしい。

そして、事情を聞いた親父が犬を人に譲ると、
現象はピタリとやんだ。

ちなみに私がこの件で今も一番謎だと思っているのは、
家族より自分の楽しみが優先で、
信仰心の欠片もない親父が、
おばちゃんの話一つで犬を譲る気になった事だ。

オマケにその後も猟仲間に犬を勧められても
「裏の稲荷が怒るから、うちは犬はあかん」
と真剣な顔で言い続けていた。

おばちゃんは一体何を母に言付けたんだろうか?

いずれにしろ、これ以来私の実家は犬ご法度とあいなった。

まぁ実は別に狐は犬が嫌いなわけではないんだが、
それが分かったのはこの後十数年経ってからなので、
もうどうでもいいっちゃ、どうでもいい。

スイッチOFFとON

こうして犬を巡る狐騒動は集結したのだが、
それより不思議な事があった。

お祓いをされたその日から、
私は何もない所で怖がって泣き出したりする事がなくなった。

あれだけ怖かった鎮守さんの大ケヤキも不思議と平気になった。
家に一人でいる時も怖いと思わなくなった。

どうやら最後にされたあのお祓いは、
何かを祓い落すものではなく、
“私に怪異を感知させなくするもの”
だったらしい。

前にジジイの話でそんな事を書いたが、
おばちゃんはあの時のお祓いで
私の頭の中のスイッチを落としたのである。

そんな訳で、私はそこから数年間、怪異と無縁の生活をしていた。
が、中学に上がった頃に変な夢を見てから元に戻って今に至る。

本当はその時、正直に親に言っておばちゃんの所へ
駈け込めばよかったのかもしれない。

が、私はその後おばちゃんに聞かれても
「何もないよ」
嘘を吐き続けた。

何しろ中学生だ。
もう自分が見たり感じるものが・・・つまり
“そうゆうモノ”
だとよく分かっていた。

大体よ、年頃的にもなんかそんなの面倒で言いたくない年じゃん。
人生で一番尖ってる時期だぜ?

それにさ~、どうもあまりこうゆうのが続くようだと
おばちゃん家に修行に出されそうだったんだよ。

うちの祖母さんは口の軽い人で・・・
まぁそうゆうのを本人の前でもペロっと言うんだよ・・・・
(だから微妙な性格なんだって)

この頃から既に“大人になったら実家を出る”と
決めていたので、そこは絶対回避したい。

確かにおばちゃんは嫌いではないし、元々実家に愛着はないが、
如何せん、おばちゃん家は実家より更に奥地だ。

現在進行形で、実家から最寄のコンビニまで1.5キロなのに、
母実家からとなれば、6~7キロ
ある。
・・・・絶対嫌だった、嫌すぎる(;・∀・)

 

とにかく、これが私が初めて付き合う事になった田舎の拝み屋という人だ。

変な言い方だが、おばちゃんは
本当に混じりっけなしの純粋な“拝み屋”だったと思う。

開運とかそんな事は一切を排して、

余計な事は言わず、
余計な事はせず、

ただ、困った人の悩みの手助けとなるべく祝詞や経を上げて神にお伺いを立てる。

多分、私が最近のスピリチュアルについて行けないどころか
疑問に思うのは、いつも頭と心に

神棚に向かうおばちゃんの後ろ姿があるからだ。

 

しかしよ、おばちゃんが言ってた
「神さんついとるからな」
ってさ、こう守護するとか寄り添うじゃなく・・・・

“付き纏っている”

のほうが正しいと思うんだ、最近(笑)

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