境界に住まう人の腰痛治療

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怪異が影響する体調不良などを一般的に
「霊障」「障り」
という。

が、私は何でもかんでも怪異が原因とする考えは好きではない。
好きではないどころか否定派である。

とはいえ・・・
不思議な事で病が癒える事もあるもんだ。

神頼みなんて最後にやれ

私は日頃おかしなものを見たり、
おかしな目に合ってはいるが、
何でもかんでも原因を怪異のせいにするのが好きではない。

特に身体および精神の病気については
「まず医者に行け」
が基本的な考えだ。

現在、様々な魔除け邪払いの方法、
または胡散臭い‟開運グッズ”が
巷に溢れているが、結局の所

一番いい魔除けは、
心身を健康に保つことだ。

とりわけ「体」について、
健康が損なわれた時に
一番早く比較的安価かつ
確実に回復させてくれるのが
医者。

人の体は良くも悪くも変化するように出来ている。
怪異なんかなくても、
人は勝手に生まれて育って老いて死ぬ。

「これは、ひょっとして」と考えるのは一番最後でいい。

そもそも、切っ掛けや治りにくい原因の一旦として
怪異が絡んでいても、
物理的に作用してしまった部分は、
物理で治すしかない。

お祓いで何でも治るなら
医者はいらん!!

まぁこれが基本的な私の考え方だが、
ここのサイトの趣旨として、
‟例外の話”
を今日はしようと思う。

腰痛が治らなすぎる

以前書いたダンナの入院騒動の数日前の話だ。

私は異様な腰痛に悩まされていた。

確かに元々腰は悪い。
肩こり腰痛はもはや持病だ。

こんな時、整形外科と相性の悪い私が
駆け込むのは接骨院だ。

いつも痛み始めたら馴染みの接骨院へ行き、
整体、針、灸をしてもらえば
それなりに収まる。

が、この時は何をしても収まらなかった。
しかも、痛み方がいつも何か違う。

そして収まらない原因に、
なんとなく心当たりがあった。

心当たり・・・不安過ぎる遠方参拝

ダンナが入院した月の初め、
実はジジイに強制連行誘われて
某県某神社に行ったんだ。

何故か分からんが、行く前から
非常に非常に乗り気がしない。
で、実際行ってみたら本当にあかんかった。

別に私が何かやらかしたわけじゃない。
諸々をまとめて言うと
‟非常にタイミング悪く来てしまった感”が否めない。

今にして思えば、ジジイにも
‟しまったなぁ感”はあったんだろうが、
この時は他に同行者がいたため
予定が変更できなかったようだ。
(レンタカーも予約してたしね)

色々考えると、どうも私は有事の際の
‟厄除けの盾”
で、連れていかれた気がする。

確かにあの面子の中で、
ジジイに次いで怪異に対する耐性があるのは
私しかいない。

オマケに私は‟なげきの盾タイプ”ではなく、
どちらかというと‟デコイタイプ”

何かあったら、矛先は周囲ではなく私に向く。
そして周囲に向くよりも小被害で済む。
つーか、この面子の中で
ジジイの客じゃないのは私だけだ。

やられた、完全にやられた・・・。

 

道中の不調と疲労もさることながら、
翌日からとにかく体調が悪い。

最初は疲労だと思っていたが、
数日経っても体調は戻らず、
そのまま腰痛という具合だ。

そして、自分もややグロッキーになっているうちに、
ダンナ緊急入院。
そこからてんやわんや。

ビール片手に見舞いにくるクソはいるし、
ついでにそのクソはダンナの枕元で
「これって障りですよね!!私半分もらいます」
とか騒ぎ立てる。
(いや、お前がそのまま精神科に入院して出てくるな)

病院に監禁されてるダンナは不機嫌。
でも毎日行かないと更に機嫌が悪くなる。

見舞いと仕事の合間を縫って接骨院に行くが、
腰は一向に良くならない。

流石に困る。
困るというか弱り果てる(;・∀・)

とはいえ、腰が痛い!と外では言えず、
機嫌の悪いダンナにも言えず、
疲労と痛みとスケジュールだけが
キュウキュウと詰まっていく。

ひらめく音声

結局半月近く、
仕事→接骨院→見舞い
のローテ生活を送る事になったのだが、
そんな中で妙な事が起こった。

いつからだったか覚えがないが、
ふと気付くと何かが声を掛けてくる。

これについての詳細は、
前回の記事を参照して頂ければと思う。

ともかく、この時脳内で
ひたすらリピートされていた単語は

‟ろっこんしょうじょう”

この時は全然聞き覚えというか
馴染みのない言葉だった。

今にして思えば「ググれ、カス」なんだが、
何故かこうゆうものに関して
私は「ググる」というのを忘れる。

そのググる事を忘れた状態で
安定の様子うかがいで2~3日。

そしてそれだけ経っても、
無限リピートは消えることはない。

しょうがないので、いつもの如く
「ろっこんしょうじょう」
と復唱にて答える。

すると、何で自分でもそうしたか知らんのだが
祝詞全集を開いてみよう
という気になった。

いつもの大祓いとかその辺を通り越し、
更に後ろへペラペラと捲る。

すると
「六根清浄大祓」
という祝詞が出て来た。

とはいえ、私はそれまで一度もこれをあげてみた事はない。
そして一度も聞いた事がない。
大体、どんな時にあげる祝詞か全く知らない。

分かるのは‟これのことだ”という事。
そしてそう思ったら
もうやるしかないのである。

 

とりあえずyoutube(笑)で読み上げている動画を探し、
見様見真似で読み上げてみる。

別に何も起こらない。
起こらないが、
妙にしっくりとくる。

祝詞がというよりも「六根清浄」という言葉が
妙に口にしっくりとくるのだ。

で、ちょっと手が空くと念仏のように
六根清浄、六根清浄とブツクサ言っていた。

それから更に2~3日。
いつもダンナたちと行っている神社の大祭の日がきた。

不思議な不思議な腰痛治療

この年の大祭は、ダンナは当然行けない。
ジジイも用事があって行けない。

ダ・ジ「お前は、どうせ一息で走れるだろ?」

というわけで、
回収する暇すらない玉串料を立て替えて
神社まで往復200kmを走る事になった。

当日は雨で、神事の間はテントがあるとはいえ外。
座っている椅子は当然硬いし、
オマケに季節は11月の終わりだ。

普通に考えたら、絶対腰には激悪である。

実際、行きは腰が痛~い腰が痛~いといいながら走り、
帰りは腰痛+雨+夜間という非常に疲れる状態で
名古屋まで戻ってきた。

べしょべしょの冷え冷えになり帰宅して
合羽を脱ごうとした時だ。

何故か自分が違和感なくかがめている事に気付いた。

ん?と思いながら合羽を脱ぐ、
靴下もズボンも脱ぐ。

・・・・あれ?痛くない。

確か腰が痛すぎて、
その日の朝はズボンや靴下を
立ったまま脱ぎ着出来なかったはずなのに。

更に腰を回してみる。
普通に回るしやっぱり痛くない。

・・・・腰痛が治っている。

あれほど、冷やそうが温めようが、
針を打とうがマッサージしようが
一向に取れなかった腰痛が・・・・綺麗さっぱり全快。

日付が変わり翌日になっても
もう何処も痛くなかった。
それどころか全然疲れてない。

その時、やっと認めた。
「あ、はい。やっぱあの時障ったんですね」と。

あの声の主は誰か?

翌日、ダンナの見舞いに行って
「代わりに大祭行ってきたからな」の報告と共に
「ところでさ、六根清浄の祓いってどんな祝詞?」
と聞いてみた。

ダ「え?そのまま心身共に祓い清めるやつだけど、
教えた事あったっけ?」

教えて頂いた事はございません。
ございませんが・・・・

私「あんた、私に何かした?」
ダ「は?」

というわけで、一部始終を説明した。

ダ「俺は何にもしてないけれど、
どうして俺だと思ったの?」

それはね・・・・

六根清浄と繰り返す声が、
ダンナに似てたからだよ。

声というか、抑揚のつけ加減っていうのか、
とにかく誰の声に似ているか?
と言われたらダンナの声なのだ。

もしダンナがあの祝詞をあげるとしたら、
多分あの声のようにあげるのだと思う。

で、結局、あの声の主は誰か?なんだが、
恐らく石の龍神さんだ。

ダンナ部屋の隅にチンマリと置かれた
龍が宿っている石。

ダンナが入院した翌日から、
私は普段は姿を見せない‟それ”に
毎日毎日・・・愚痴を垂れていた。

あの時の私の諸々の心情を知っている
怪異がいるとしたら、
石の龍神さん以外にいないのである。

多分「困った私を助けてやる」というよりも
「愚痴に辟易した」のだろう。

 

そして障りの原因だが、
やはり月初めに出掛けた事だと思う。

現地で感じた
「何となくマズイ」は、
本当にマズかったのだ。

何がどうというよりも、
色んな事の相乗効果。
いわば‟負のマリアージュ”

もし、私一人で当時の愛車CB400SSで行ったなら
多分途中で足止めをかけられる案件だったと思う。

まぁここが、日頃私が一人で行動する理由でもあって
人が一緒となると、そっちに気を使ってしまい
危険が見えなくなる。
そして人がいると予定変更しにくい。

あの‟六根清浄”という言葉は、
山を行く行者が掛け念仏として
月初めに行った所でも
非常によく唱えられているものだ。

障りに対して唱えるというよりも
‟私に向いていた”
のだと思う。

正直、別にこれだけで良くなったとは思わない。
数日唱えて、最後に大祭の時にやる
お祓いで完全に取れたんだろう。

 

後日、この一連の話をジジイにしてみた。
というか、文句を言った。
「人を炭鉱のカナリアか除湿剤のように使うな」と。
それについての弁明は以下の通り。

ジ「だってお前は何かあっても絶対に大事にはならんし、
結局、自分で処理出来とるやないか。
これもまぁ・・・場数や!
怪異祓いに方程式はあるようでない。
変にやり方を覚えると、そこに拘る。
その都度その都度、
神さんに聞いてやるしかないんやでぇぇぇ~」

なんだろう、漫画でも小説でも
‟師匠と弟子”が出てくると、
大体、師匠は鬼畜である。

色んな言葉でその鬼畜さを覆い隠そうとするが、
結局、弟子をいいように使っている。

・・・・いや、待て、
私はお前の弟子になった覚えはないぞ!!

こうして、ジジイが言う所の‟場数”が
一つ、また一つと増えていくのである・・・・・。

つーか、その場数貯金、どこで換金すんねん?

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