昭和に出会った‟エル”という犬

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誰もが知っている犬種の一つに
ジャーマンシェパード
というのがいる。

一般的なイメージとしてあるシェパードは
警察犬だ。

確かにその由来を辿るとドイツの軍用犬であるわけだが、
非常に賢く、訓練さえキチンとされていれば
主人に従順な犬ゆえ愛好家も多い。

今日はそんな勇敢で賢い犬の代名詞でもある
シェパードの話。

エルという犬

昔、一匹のメスのシェパードがいた。

平均よりはるかに大きな体で、
名前は“エル”
もちろん、由来はそのまま
‟サイズL”の‟エル”

エルはたいそう賢い犬だったらしい。
まぁ主人もその資質を伸ばすべく警察犬の訓練校にまで入れて教育し、
狩猟のお供にしていたそうだ。

数年そうやって暮らしていたそうなんだが、
エルは突然病気になった。

原因は分からないが腹水が溜まって、
抜いてもまた溜まって
どんどん衰弱していったらしい。

主人が留守にしている時は、
当時妊娠中だった奥さん
大きな犬を抱えて病院まで連れて行って
看病していたそうなんだが、
それでも治らない。

今なら原因がわかったかもしれないが、
何しろ今から40年も前の話である。
仕方がないといえば、仕方がない。

奥さんの腹が大きくなるように、
エルの腹も腹水で膨れていく。

そうして、賢く忠実だったエルは
主人の子供が生まれる前にその寿命を全うしたそうだ。

 

「だからよ、犬がオメェの代わりになってくれたんだべぇ」

・・・っていうのが、
口数の少ない父方の祖母さんが私に話してくれた事だ。

そうなのだ、
エルは私が生まれる前に実家で飼われていた犬なのだ。

祖母さん曰く、
‟犬がなにがしかから私を守って身代わりになってくれた”
らしい。

特に動物好きでもなく、信心深くもなく、
正直あまり頭がよいタイプでもなかった祖母さんが
わざわざ言うって事は
多分よほど彼女的に印象深い出来事だったのだろう。

ちなみにうちの祖母さんに何か特殊な力があったなんて話は知らないが、
祖母さんの妹達、
そしてその妹達の孫であるハトコは
‟視える質の人”
だった。

無口な祖母さんは、
たまに口を開いてはそうゆう不思議な話をしてくれた。

犬好き女の守護霊

勿論、この話をそのままペロリと鵜呑みにする気はない。
‟ただの偶然”と思っても良い。

しかし、この話を子供の時分に聞いた時、
妙に納得がいったのを覚えている。

なぜなら、私は異様に犬が好きだったからだ。

最近はすっかり
「猫好き柴猫さん」
で周囲に認識されているが、
実は元々‟犬派”なんだ。

※私の名前は、よく‟芝猫さん”と書かれるが、
もちろん正しくは‟柴猫”で、
‟柴”は‟柴犬”の事なんだよ。

いやまぁ、動物全体が好きなんだが、
昔から犬だけは特別な存在だった。

これは、親の証言だが、
歩けるようになってからというもの、
ちょっとでも目を離すと
見ず知らずの大型犬の首にぶら下がっているような子供
・・・それが私だ。
(今考えると最高に危ない)

吠えられようが大きかろうが、
犬なら何でも良かった。

むしろ
‟犬はデカイほどいい”
くらいに思っていた記憶が
薄っすらとある。

普通、そんな無謀な事をしていたら
一度や二度噛まれるような事もありそうだが、
生まれてこの方一度たりとも犬に噛まれた事がない。

いや、噛まれそうにはなっている。
クソほど噛まれそうになってはいる。
でも、いつも寸前のところで逸れる。

今まで記憶している怪我は、
どれも‟ちょっと牙の先が引っかかった”
‟ちょっと牙が当たった”程度だ。

昔は今と違って野良犬も放し飼いの飼い犬も多くいたし、
それが当たり前だった。

犬嫌いな友人知人の中には
「犬に追いかけられてからダメだ」
という人も少なくない。

が、愛玩犬から猟犬まで多くの犬と関わり、
「おお怖い怖い」と思う事はあっても、
その恐怖が心に染みつかない。

や、まぁ、私が
「犬なら噛むことも吠える事もあるだろう」
というのを念頭において付き合っているせいも
あるかもしれないけれど。

犬は、大きかろうが小さかろうが、爪も牙もあるのだ。
攻撃する気はなくってもジャレつかれただけで多少の怪我をする事もある。

何しろ人と犬はどうにもこうにも同じ生き物ではないんだから。
どうやっても越えられない一線というのは必ずある。

ただ、
‟一線を引くこと”と
‟命に対して敬意を払うこと”
は別だ。

そんな風に付き合っているからなのか、
吠える犬も私には何故か吠えない。

最初は吠えてもすぐに
「こいつには吠えても無駄だ(;・∀・)」
と悟って吠えなくなるようだ。

そうゆうわけで私は半世紀近く、
こんな調子で犬と付き合っている。

 

だから、祖母さんがこんな話をした時
「あぁ、ではその犬は今でも私について回っているのだろう」
と一人で納得したのだ。

納得しながら
「あぁ、多分私はこの調子で死ぬまで彼らと付き合い続けるのだろう」
とも確信し、それは今の所そのとおりになっている。

真偽のほどは確認した事がない。
仮にダンナやジジイに聞いた所で、
言ってはいけない事や言う必要のない事なら
アイツらは喋らないから聞くだけ無駄だ。

それに聞いた所で、
もしも私が先に述べたように納得してなければ
例え美輪明宏に
「守護に○○がついているわよ」
と言われても
「はぁ(゚Д゚≡゚Д゚)?」
としか言いようがない。
だから確認しようとも思わない。

思い込みといえばそうなんだろうが、
こうゆう事は不思議と理屈は別として
‟腑に落ちる”
というものがある。

妥当だったら理屈はさておき‟腑に落ちる”し、
理論的に正しくても、
語る相手にどれだけの権威があろうとも
‟釈然としない”
となるのだ。

 

たまに「やれ守護霊様」とか
「その背後霊様」とかそんな話になり、
誰かに聞かれるたびに

「さ~、多分とびきり大きなシェパードが付いているんじゃない? 
乗れるくらいの奴ww」

と勝手に答えている(笑)

そしてそう言う風に思う事が、
彼女が私に対してしてくれたことへの
感謝の証でもある。

 

さて、一匹目のエルは
こうして私と入れ替わるようにこの世からいなくなった訳だが

・・・私は別の所でエルにあった。

その話はまた次回。

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