猫という小さな猛獣 ~家庭内野良猫、家庭の猫になる~

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元野良で今も昔も‟我が家最大最強”である巨猫

餌やりさんから引き受けて、半年以上経っても
奴は私に指一本触れる事を許さなかった。

人から大した根拠なく「飽き性」と言われる私だが、
どうゆう訳か、この懐かない小さな猛獣を
その後も飽きる事なく飼い続けた。

古参と新入りと雄の習性

当然の事ながら、
我が家にはこの時から既に犬も猫もいた。

当時のメンバーは、長老、初代、エリンギ、柴子。

元野良に限らず、新入りが来た時に問題になるのは
この古参との関係だ。

が、意外な事に古参たちと巨猫が大きなトラブルを
起こしたことは殆どない。

うちは不思議と獣同士の小競り合いが少ない。
恐らく最古参の長老が上手くまとめていたんだろう。

巨猫と古参がある程度ケージ越しに
コミュニケーションを取るようになってからは、
ケージに覆いがなくても
それなりに寛ぐ姿を見せるようになった。

ケージから解放された後、根城にしていたのはメタルラックとベッドの下。

まぁこれだけでも大きな進歩であり、
私としてはうちの猫や犬とトラブルを
起こさないでくれるのが一番だ。

が、相変わらず私には慣れない。
ある一定の距離を保っているから
威嚇したり警戒しないだけで、
その範疇を超えて近づけば
威嚇の嵐だ。

小さな猛獣の気持ち

人には懐かない・・・つまり完全に飼猫化もしていない、
更に去勢もしているかどうか怪しい猫を室内で
放し飼いにすると
「マーキング(スプレー)どうよ?」
という事を聞かれる。

私もこれだけは諦めた。
特にコイツは本当に去勢されているか怪しいので、
絶対にアチコチでされるのを覚悟していた。

が、ケージから出された奴は何故かマーキングをしなかった。
しかも、教えもしていないのに勝手に皆と同じ場所で用足しをした。

子猫だと2匹目以降は、年長の猫に習って・・・
というのがよくある事なんだが、
すでに成猫、オマケに野良上がりが
この様に行動するとは予想外だった。

結局、マーキングは端的に言えば
猫の自己主張で記名代わりなんだが、
コイツは今に至るまで、あまりそうゆう主張をしない。

とにかく他の猫とは喧嘩をしない。
もちろん、たまにひと悶着はあったが、
見ていると明らかに奴のほうが先に引く。

あれだけの体なのに、
巨猫のせいで怪我をした猫は一匹もいない。
犬についても同様だ。

太る前から我が家最大の猫であり、
また年齢的にも一番若いのだから
うちでボスになろうと思えばなれたはずだ。

時系列的にズレるが、大きさがよく分かる一枚。

が、今に至るまで一度も巨猫は
そのようにした事がない。

ヤツが本気で獣相手に威嚇しているのを見たのは
たった1度きり。
それもどうやって手に入れたか分からない
セミを咥えていた時だけだ。
※網戸の小さな穴から引っ張り込んだらしい。
翌日、羽だけが床に落ちていた・・・好物らしい。

現在、二代目と2匹だけになってしまったが、
喧嘩をふっかけるのはいつも二代目であり、
巨猫はいつもポカポカと殴られるままになっている。

今も老いらくとはいえ本気で戦えば、
柴子も二代目も巨猫には敵わないだろう。
しかし奴はそれをしないんだ。

奴が小さな猛獣と化すのは、
何処までも人間相手だけであり
犬にも猫にも優しい。

いや、優しいというより
やっぱり臆病な男・・・なのだ。

雄仲間のエリンギと。顔から体まで骨格が同じ猫と思えない・・・

猛獣、救急搬送される

ケージに入れたり出したりしながらの巨猫との暮らしも
1年半は経った。
それだけ経っても相変わらず懐かねぇ(笑)

その頃の私は非常にブラックな
ライスワークをしていたのだが、
ある晩仕事から帰ると、
巨猫がケージのトイレにうずくまり、ぐったりしている。

ん?と思って抱き上げても逃げない。

普段は私がいない間に綺麗に食べてある餌が残っていて、
代わりにトイレの中は空だった。

この時、パッと頭に浮かんだのは・・・
「尿道結石」「尿道閉塞」の二つ。

うちの猫はそれまで誰も泌尿器系の病気はしていないが、
猫の疾病知識として頭には入っている。

結石ならまだいいが、閉塞を起こした場合、
1分1秒でも早く処置をしないと命にかかわる。

その頃のかかりつけは、巨猫のためというより
高齢の長老のために深夜対応をしてくれる病院を使っていた。

巨猫は直接診察してもらった事はなかったが、
以前、尻尾が禿げるという事があり、
薬を処方してもらった事もある。
※暴れてキャリーに入れられなかったので、
患部写真を持ち込んで薬対応。

連絡を入れるとすぐに診てくれるそうだ。

病院までは片道3~4キロ。
タクシーを呼んだが、
なぜかタクシー会社電話でねぇ(;・∀・)

当時はまだバイクのバの字にも関わっていなかった。
だから猫をキャリーバッグに詰めて
自転車で動物病院へ走った。

季節は2月の始めくらいで、時刻は23時。
薄着で出たのに不思議と寒いと思わず、
それより猫が心配で

「死ぬなよ~!死ぬんじゃないぞ~!!」

と連呼しながらペダルを漕いでいたのを今でもよく覚えている。

それくらい、この時の巨猫は無抵抗だったのだ。

ちょっとでも触ろうとすると大暴れする猫が、
黙ってキャリーケースに収められ、
一声も発せずに大人しくチャリの前籠にいる。

この異常性と緊急性に冷や汗をかかずにおれない気持ちは
実際に動物を扱わないとわからんだろう。

 

病院では先生が準備をして待っていてくれた。

病院についてバッグから出された時は、
流石に大暴れで、それを
先生と3人掛かりで押さえ込んだ。

診察してもらうと、やはり尿道閉塞で、
ここでセオリー通りに閉塞している尿道にカテーテルを通して
開通させる事ができた。

まぁ溜まってた尿が向こうの壁まで飛んだのを
全員が猫から手を放さず、
マトリックスのように
華麗に避けた
のは、今となってはいい思い出だ。

そんな大騒動で処置をしてもらい、
結石というハンデ&この懐かなさ加減で里親を探すのは難しいだろうと、
諦めてうちで飼う事にした。

というか、帰り道・・・震えながらノロノロとチャリを漕ぎながら
もはやそれしかあるまいと思った。

別にうちで飼うなら多少懐かなくても私は気にしない。

以前、親父に
「懐かん猫なんぞ可愛くないだろう?野良でも懐くから可愛いんだ」
と言われたし、
世の中の人は大体そう考えているのかもしれない。

だが、私はそこに重要性を感じない。

そりゃ、懐けばそれはそれで嬉しい。
でも元々懐かない野良猫をただ眺めるだけも好きだから、
まぁ家の中で野良猫眺めて餌付けしていると思えばいいさ。

少なくとも家の中ならボス猫に追い回される事も
人に虐待されることもない。
飯もたらふく食えるし、
一緒に眠ったりグルーミングし合える仲間もいるじゃないか。

左からエリンギ、長老、初代、巨猫。

外への興味も・・・外でよほど怖い思いをしたのか
当初からあまりないようだ。

それがストレスにならないのなら、
野良暮らしよりもトータルのストレスは少なく、
幸せかどうかはさておき、
暮らしやすくはあるはずだ。

もっとも、猫が何に重きを置いて生きているか
人間如きには分からんのだけれどな。

小さな猛獣、猫になる

「家の中に野良猫がいると思えばいいさ」

こんな風に腹を括った私だが、
巨猫は予想外の反応を示した。

ビビリなのは相変わらずだったが、
その日を境に私に体を触らせるようになった

流石に最初のうちは直接投薬できなかったが、
薬入りの飯も残さず食い、
自分から近寄ってくるようになった。

更に病院でもそれ以降暴れなくなり、
代りに「賢者モード(簡易版)」
を展開するようになった。

心境の変化の推測

ここからは、何処までも私の推測だが・・・

巨猫は嫌ながらも病院は
自分の苦痛を取り除いてくれる所だと
理解したのだと思う。

私の事は、まぁ新しい餌やり(下僕)だと
やっと理解してくれたんだと思う。

もう少し、猫の心情を人間の価値観で考えたら、
自分の身を損得抜きで案じてくれている事を
巨猫が信じてくれたのだと思う。

そこからは非常に早かった。
あっという間に・・・奴は猛獣から猫になった。

だから私の最初の「2年計画」は予定通りと言えば、
予定通りとなったんだが、

もし、あの時巨猫が尿道閉塞を起こさなかったら
どうなっていたか?

それについては、私に知る由はない。

飼猫と野良猫の狭間

その後、結石用処方食により
初めて会った時には小さな黒豹のようだった姿は、
どちらかというとミニ黒豚のようになった。
※結石食はカロリー高め

見かけだけでいけば、今の巨猫に野良の面影はない。
でも、やっぱり今もどこか野良だ。

機嫌が良けりゃ、長い尻尾をピンと立て
普通にはしているが、
ちょっとした事ですぐに
野良のようなコソコソとした歩き方
になってしまう。

そして他の猫達が簡単に出来ることが
あまり得意ではない。

ドアを開ける、布団に潜り込む・・・
これが今でも下手くそだ。

そして・・・相変わらず私以外には慣れない。

そんな私の事ですら2~3日家を空けると忘れてしまい、
思い出すのに半日ほど掛かるらしい。

当然、ダンナにも慣れないので、
今も巨猫部屋兼アトリエとして
ダンナと日頃過ごす部屋以外に
一部屋余分に借りている。

でも奴は奴なりにほんのりと信頼と思しきものを見せる。

昼でも夜でも私が横になれば、
どこからか現れて私の体にドッカリと乗るようにして一緒に眠る。
デスクワークの時に気が向けば、私の足に乗っかるように寝る。

別にわざわざそんな狭い所に詰まらんでも・・・

そんな時の顔は、私がよく‟まんじゅう顔”と呼んでいる
非常に満足した福々しい顔をする。

「ご機嫌ですな」というと、
返事の代りに高らかに喉を鳴らしてみせるのだ。

野生と家畜の境界

こういった動物愛護的なものを
「偽善だ」とか
「エゴだ」
ヤイヤイという連中が後を立たないのは知っている。

だが、私としては「自然のままに」
何もしないのもまたエゴだと思う。

大体、猫は野生動物ではなく家畜だ。

もう何百年何千年前に家畜化されているのだ。
今更戻れないのだ。

家畜の意味を間違えている人があまりにも多いのではっきり言うが、
愛玩動物も厳密に言えば家畜である。
別に食肉のための動物だけが家畜なのではない。

いつの間にか彼らは人と暮らす事に適応してしまった。
ネコと名のつく野生動物は多いが、
それと今一般的に見かける猫は似て非なる。
違うのだ、全然違うのだ。

そうなってしまった以上、“自然”というなら、
人とともに暮らすのが猫の自然の姿だ。

こうゆう問題に正解はない。
それなら何をやってもどのみち「エゴ」なのだ。

一人、いやそれなりの規模の団体であっても
全てを救う事は不可能だ。

だったら、私は自分が出来る範囲で
確実に一匹ずつ消えそうな命を拾って育てるのがいいし、
それが今のところの私のやり方だ。

 

巨猫を気ままかつ危険な野良から、家猫、
しかも完全室内飼いにしたのがコイツの幸せだったのかは、
誰にも分からない。
結石についても環境が変わったストレスが原因かもしれないしな。

まぁでも、腹出して呑気に寝てる姿を見ると
満更でもないのかと思う。
少なくとも外ではそんな事出来なかっただろうからな。

巨猫は年中こんな調子だから、
膀胱も腎臓もいつまで持つか分からない。

それでも誰がなんと言おうと、
彼が最期を迎えるまでうちで過ごさせるのが
私の決めた筋道を通す事だし、
彼の信頼に応えるという事だと思う。

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