まぶたの彼岸 

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昔から猫が主役の怪談奇談が非常に多い。

化け猫、猫又、招き猫、
魔女の下僕になってサバトの宴で踊っていたり、
そうかと思えば、女神の車を引く。
さらに、国によっては猫顔の神までいる始末。

どうして猫には不思議な話が付きまとうのだろう。
どうして猫には不思議な話が良く似合うのだろう。

猫というのは、生きていても死んでいても
怪しく美しい生き物である。

小さい雲という名の猫

今からちょうど7年前の事だ。
その年の5月に私は自宅の猫を一匹見送った。

彼は私が名古屋に居を移してから始まった
‟猫遍歴”を3分割くらいにした場合、
第一部の末っ子に当たる雄猫である。

生家で一度、遠くから見かけた母猫は、
ベーシックな茶トラ柄のほっそりとした猫だった。

彼はその母の茶トラ柄を長い長い尾と耳の先、
顔に少しだけ譲り受け、
それ以外は雲のように白い。

そう‟雪のように”ではなく、雲のように白かったのだ。

生まれた家で他の兄弟に邪険に扱われていた子猫の話を聞いたのは、
私がまだ20代半ばの頃で、
飼い主が持て余して捨ててしまうと言っているのを
人づてに聞いてもらい受ける事にしたのだ。

子猫の柄を聞いた時、空にぽっかりと浮かぶ‟小さな雲”が頭に浮かんで、
姿も見ないで、その意を持つ名前をつけた。
そして実際会ってみると名に似つかわしい猫だった。

まぁもっとも・・・育つと共に母猫によく似たヒョロリと細長い体型になり、
座す後ろ姿がカラーリング的にもエリンギ色だったので、
途中から「エリンギ王子」っていう別名がついたんだけど。

酷いビビリで、その癖ヤンチャで
そして・・・・我が家で一番の甘ったれであった。

まさかコイツが一番先に死ぬなんて考えてみた事もなかったんだ。

 

飼っている動物を亡くして意気消沈すると
同情からお説教、叱咤激励、
更にはそこにつけ込もうとする人々までが出てくる。

「飼っている動物を亡くす」というのは
結局「喪失体験」なのだが、
そのダメージは人により違うし、
同じ個人でもその亡くし方、本人の状況によって
ダメージは大きく変わり常に一律ではない。

コイツの場合は、恐らく肺水腫だったのではないかと言われたが、
肺水腫によくあるような咳などの兆候がまったく見られなかった。
つまり突然死という状態だ。

本当にものの5分前まで普通にしていて、
そこから突然だった。

あえて詳しくは書かないが、
壮絶としか言いようがない。

それでは納得がいかんとかブツブツいう奴は、とりあえず名古屋に来い。
とりあえず、あんたの顔面を死ぬ寸前まで便器に沈めてやるから。
(つまりそうゆう感じです)

それで、流石の私もすっかり意気消沈してしまったというわけだ。
9歳とはいえ、うちの「第一世代」に当たる猫達の中で一番若かったしな。

まぁコイツも例に漏れずというか、コイツが
“世にもナチュラルな猫の怪異”の第一号になってしまったのだが、
他の猫の例に漏れず死後も散々家中を闊歩し私について回っていた。

しかし、やがてその姿も見なくなり、
夏が過ぎ、秋が来た。

しばらくの間は勢いだけで何とかしのいだが、
他にも色々と揉め事も続いてな。

夕暮れに吹く風にキンモクセイの香りが混じるようになった頃には、
すっかり軽い人間不信になり、
更にコイツの遺影を描き終えた頃から、
ふっつりと創作意欲が消えてしまっていた。

子猫の転がり込んだ夜

そうして迎えた7年前の神無月、私の元に一匹の子猫が転がり込んだ。

この写真の猫は今はこうなっている↓

二代目(笑)
(なんか、面影が一ミリも見受けられない・・・)

今は怪異から野良猫まで全てを追い払う守護猫として
君臨している二代目だが、別に最初からそうだったわけじゃない。
彼女が我が家にやってきた事情に特別な要素は一つもない。

とりあえず、生まれは先日のチョコラブの彼女の話に登場したS家縁の下。
どうやら二代目も含めて3匹生まれたらしいのだが、
そのうちの1匹だけをつれて母猫が消えてしまったんだそうだ。

残された2匹をS息子くんが縁の下から引っ張り出したが、
弱っていた1匹は死に、
残った二代目も既に片目が潰れていた。

野良の世界は「愛情」だけでは片付けられないほどシビアだ。
死んだ1匹も二代目も「育たない」と判断され切り捨てられたのだろう。

生後2~3週間、しかも片目が潰れた子猫の世話は大変だ。
数時間おきにミルク、点眼、点鼻、排泄の世話。

S嫁さんはそこまで猫に詳しくないし、
それに主婦は忙しい。
その点私は・・・呆けていたしな。
まぁ、うちで面倒見て、ぼつぼつ里親探せばいいよなぁ
・・・と引き受ける事にしたんだ。

まぶたの彼岸

後に‟二代目”となる子猫が転がり込んだ夜。

心配だった私は布団には入らず、
居間に置いた箱の中に彼女を入れて様子を見ながら、
疲れたらうたた寝をするようにして過ごしていた。

保護した直後という事もあり何があるか分からないし、
どの道、何時間かおきにミルクをやらねばならん。

うつらうつらして、起きて、またうつらうつらする。

そうして迎えた明け方。
空が白んできた頃、私は浅い眠りから目覚めた。
いや、‟目覚めた筈”というほうが正しいかもしれない。

少なくとも意識は覚醒していた。
ただ、目を開けてはいなかった。

明確な眠りと明確な覚醒の狭間の一握りの瞬間。

普段であれば、そのまま目を開けるのだが、
奇妙な光景に私はまぶたを開くのを躊躇した。

閉じたまぶたを透かすように景色が見える。

確実にまぶたは閉じているにも拘らず、
私の目には見慣れた部屋の風景が見える。

日の出前の蒼暗く冷たい空気に沈んだ居間。
白む空を映すカーテンの引かれていない窓。
家具の作る影。
全てがいやにハッキリと見える。

おかしいな。目、閉じてるよな?

自分の記憶を夢として見ているのか?とも思ったが、
完全に寝ているのであれば、私は自分が夢を見ているのに気付かない。
正夢は見ても明晰夢的なものは殆ど見ない質なのだ。

そして、そのまぶたを透過しているように見ている風景の中に、
絶対に現実には存在しないものの姿を見つけた。

ベランダに続く南の窓の前に白い背中がある。
オコジョのように細く白い背中。
それに続く尾は明るい茶色の縞模様。
うっすらと見える肩甲骨の上に伸びるほっそりとした首もまた白い。
白い首から白い頭が生えていて、その先端に飛び出した二つの耳が、
尾と同じ明るい茶色だ。
その上下の茶色の先だけが僅かばかりに揺れている。

とても見慣れた後ろ姿だ。
9年見続けた後ろ姿だ。
だが、もう失われた後ろ姿だ。

窓辺にあの死んだ猫が座っている。

生前と変わらず、窓の外を見るようにして
彼が静かに座っているのだ。

先に話した通り、私の脳が壊れているのでなければ、
確かに彼は死後もしばらくの間家に滞在していた。

0感の私でも分かるほどの圧倒的な存在感で、
物質的にいない癖にタックルをかまして犬を驚かせたり、
しっぽで私の足を撫でまわしたりした。

でも、この後ろ姿はその様子とはまた違う。

妙に生々しい。

生々しいというか、どう見ても死者に見えないその姿。
彼の足元には窓から差す僅かな光が淡い蒼の影を作っている。
その出来る方向、色合いに不自然さはない。

かつて“小さい雲”という意味の名で存在していた彼は、
かはたれ時に浮かぶ雲のように白い体毛を蒼く染めながら、
確かにそこに座っているのである。

あぁこれが妄想や幻覚ならば、
想像や記憶だけでこれほど現実と寸分の狂いもない物を見せる私の脳は
欠陥品というよりも、むしろ異様なほどに優秀なのかもしれない。

それくらい完璧で美しかった。
だからこそ、それはこの世のものではないのだと思った。

見慣れた風景だが、そこには何一つ命の気配がしなかった。
時が動いている様子もなかった。
なにしろ時の足音たる時計の秒針の音が聞こえないのだ。

あぁ・・・・私が見ているのは彼岸の風景だ。

静止した時間が支配するアチラの世界。
これは彼が今いる彼の岸の風景だ。
今私は境界の中央にいるのか。

なら、私は永久にこの時間の中に留まるわけにはいかない。

彼はすでに死者であり、私はまだ生者だ。
そして生者の私は、同じくコチラ側にいる子猫を生かさなければならない。

私はそっとまぶたを開いた。

可能な限りゆっくりと開いた目に映ったのは、
先ほど目を閉じたまま見たのと何も変わらない風景だった。

夜明け前の青い部屋。
家具の角度、置かれている雑貨。
それらが作る影。
そのどれか一つとっても全く狂いがない。

ただ一つ消えていたのは、あの白い背中だけ。

その姿が消える様子は、あたかも猫の絵だけが描かれた薄いフィルムが
ペラリとめくりあげたかのようだった。

彼の消えてしまった風景の中、体を起こして胡坐をかいた。
子猫は箱の中で静かに眠っている。
隣の部屋で獣たちが眠る気配と、
ごく密やかに寝息が聞こえる。
静かなのは同じだが、先ほど感じた静止感はそこにはなかった。

はて、今の出来事は夢だったのか・・・・・

そんな事はないと分かっちゃいるが、
何となく、ただの夢だと思いたかった。
そして、改めて自分が今まで寝ころんでいた場所を見た。

そこは丁度、彼が生者としての最期の一息を吐き出して倒れた場所だった。

彼の岸の所在と彼の思う所

霊界、あの世、冥府、アチラ側、浄土、彼岸・・・・
死者が向かう先には様々な呼び名がある。

そんなものが本当にあるのか、
そもそも魂というものが本当に存在するのか、
本当の所は誰にも分からない。

しかし絶対にないという事も証明されていない。
あるという証拠もなければ、ないという証拠もない。

仮にそれがあるとして、何処にあるか考えると、
それは遠い天の上でも、深い地の底でも、
遥か西の浄土でもなく、
「我々の世界と重なるように存在している」
のだと思う。

だから時としてこのように世界が交差する。
簡単に交差してしまえるほど境界はぬるく曖昧であり、
しかし冷酷なほど明確だ。

たまに
「偶然であれど時折彼岸がみえるのであれば、
自分の死も他者の死もそれほど苦ではないだろう」
というような事を言ってくる人もいる。

確かに恐怖心はない。
‟その時”というのは、いつも‟ちょうどいい時”に訪れる。
早いか遅いかというのは、人の価値観の枠の話だ。
もっとデカい枠の価値観で言えば、いつも‟今この時”なのだ。

そして確かに私は時折このような彼の岸の風景や、
そこに佇むモノの姿を見ることは出来るが、
それを見る度に、同時にその間に横たわる
どうにもならないほどの差異を感じる。

だからこそ、その瞬間が訪れるまでは何が何でも生きねばならん。
例え腰まで冥府の川に浸かっていても、
渡り切るまでは生きねばならんと思うのだ。

 

あの夜、なぜ今までとは違った形で、
あの雲の猫が現れたのか。

彼の様子から察していたのだが・・・
その時は何だかその確信を認められずにいた。

理由はお察しの通り、
彼の空席を埋めるには、まだ早いと思ったからだ。

しかし、モヤモヤと思いながら子猫の世話をしているうちに、
彼女の目はもう元には戻らず、
将来的に眼球摘出の可能性もあるという事になった。

動物は隻眼でも人ほど生活に支障はないようだが、
主となる人は「摘出」という選択を突きつけられた時、
きっと心が痛むだろう。

だったらまぁ、うちに置いておくしか仕方あるまい。

私はそうゆう所は妙に切り分ける冷たい質も持ち合わせているから、
命が掛かっていたならば、
きっと眉一つ動かさず決断出来るだろうから。

かくして、我が家の空席は
彼女によって埋められ、今に至るのである。

 

子猫が「保護した猫」から「うちの猫」に昇格してしばらく経った頃、
ダンナにこの夜の出来事を話した。

奴は事も無げに
「あぁ、代わりの到着を見届けに来たんだろう」
とのたまった。

なんというか99%「そうだろうな」と思っていて、
1%だけ「違うなぁ」って期待して人に聞くんだけど、
大体そうゆうのは裏切られる。

そうだ、そうなのだ。
そうでもなければ、アイツはあのように背を向けている事なんてないのだ。
そうゆう奴なのだ、アイツは。

姿を見る前から名をつけて、
生後2か月にも満たないアイツに毎日飯をやり、
9年間寝食を共にしたんだから。
人でもな、分かるよ。
分かるに決まってるだろ?

猫とは不思議で奇怪で愛おしい生き物だ

この不思議な出来事から早いモノで7年だ。

子猫はこの後、今のように「守護猫二代目」へと
更なる昇格を果たしたのだが・・・・
雲の猫はそれを最初から知っていたのだろうか?

確かにアイツは、黒猫でもメスでもないが、
いつも私が彼岸と此岸の境でフラフラとしているのは
知っていただろう。

いや、生きている時はさておき、死んでからはよく分かっただろう。
実は死んだ親父にそれを尋ねた事があるのだが、
そしたら奴は酷くばつの悪い顔で
「分かった」
と言っていたのだから・・・死んだらきっと分かるのだろう。

彼岸が近いというか、境界が平均より曖昧なのだ。
そして曖昧だからこそ、
常にこちらにいる理由がなけりゃ駄目なのだ、私は。

今まではそれが絵だったが、
それをポコっとなくした私に、雲の猫はとりあえずの理由を与えたのだ。
そしてそのもくろみは成功した。

「描く理由」をとりもどすのには、まだ少し時間も切っ掛けも必要だったが、
とりあえず「こちらにまだいなければならない」という部分は、
成功したんだ。

結局この後も「描く理由」を取り戻すまで、
彼岸の景色を見かけ、そこに佇む者と交わる事はあったが、
それでもまだこちら側にいるんだからな。

曖昧ながらも強固な境界を私はまだ渡ってはいない。
そして当分渡るつもりもない。

彼の岸はまだ当分遥か彼方で、
それでいて私の真横にある。

私は今日も川越しに対岸を彷徨う者達の姿を少し羨ましく思いながら
背を向け、
だが、その岸辺から離れる事が出来ないでいる。

こんな馬鹿げた事を知っているのは、
猫達だけであり、
だから私は、その奇妙な光景と奇妙な猫という生き物を手放すことが出来ないのだ。

猫は彼岸にいても此岸にいても、
美しく怪しい。

そしていつまでも愛おしいものである。

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