バイクのクセと残留思念についての考察

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もうぼちぼち、納車から1か月である。

元々同じ車種だし、そう違いはないはずなのだが
新しいW800に跨る度、おや?っと思う事がある。

スペックとか、年式とか、
そうゆう事ではなく
私がハンドルを握って思う
頭がおかしい新と旧の違い。

空虚なほど素直な新W800

納車から1か月経過した新しいW。

1か月だが、既に西へ東へ・・・
いや、主に西ばかり向いて走っているので、
‟東奔西走”というより‟西奔西走”が正しい。

しかし、乗れば乗るほど旧Wとの
‟ある違い”
を感じるのだ。

空虚なほど素直

今のW800は、非常に素直なバイクである。
いやWというバイク自体クセらしいクセはないと思うし、
一部の人に言わせたら「つまらない」と
言わせる理由もそこらしい。

だが、そうゆう事じゃなく、
跨ってハンドルを握った時点で
いつも「おや?」と思う。

現Wのこの素直さは、
素直を通り越し
何処となく‟空虚”な気がする。

空虚、真っ新、真っ白・・・

なんとも言えないこの感じ。
でもいつか何処かで感じた事のある感覚だ。

え~と何処だっけか?いつだっけか?

あぁ・・・これは、あの倉庫で思ったアレだ。

物流倉庫

いつぞや、物流倉庫のピッキングに通っていた事がある。

ピッキングとは、広い倉庫内を歩き回り、
リスト通りの品を集めて梱包する仕事。

(昔から短期・単発で色んな仕事をする。
気分転換にもなるし普段は見られないものが見れるから
面白い)

その時もそれで某メーカー(密林ではない)の
巨大な倉庫を毎日ウロウロとしていた。

倉庫内は全容をすぐに把握できないほど広い。
オマケに天井まである棚の全てに商品が詰められている。
とんでもない物量である。

なんだが、なんというか
物の量に対して気配が薄いというか、
目の前には沢山モノが溢れているのに
何も感じない。

目の前に広がる感覚を一言で言えば
‟大きな虚ろ”

私はたまに
「目の前にいる人数より多くの気配を感じる」
という経験をするが、
これはその真逆バージョンだ。

何処か底の見えな井戸を覗き込むようで
うすら寒い。

しかし・・・・物の溢れる現代において
人以上に物があるれている場所などザラにある。
その全てでこんな風に感じるわけじゃない。

で、夕飯時にその話をダンナにしてみた事がある。

ダ「そりゃ、物流倉庫で新品の物しかないからじゃないかな?
人目に触れてないから人の残留思念や執着も付かない。
作られたばかりだから、何も宿らない。
日常においてそうゆう場所は限られるからね」

ダンナ曰く、百貨店などに並ぶ新品にも念がついている事があるという。

それは誰かが品物を見て強烈に欲しいと思う時に
執着という形で残留思念が残るという事のようだ。

ダ「まぁちょっとしたものならすぐに取れちゃうんだけれど、
たまに取れないやつもある。
実際に使われた骨董や中古の場合は尚更だろうね」

つまり、日常的にそうゆうものを感覚的に捉えているので、
その真逆の空間に入る事で感じる違和感らしい。

正常な人には「どんな理屈だ?」という話だが、
私のような頭が飛んでる人間には
これはなるほど納得の回答だ。

クセと残留思念

話がバイクに戻るが、新しいWから感じる虚無感というのは
この物流倉庫で感じたものによく似ている。

ちなみに旧Wでそうゆう感じはなかった。
あれは・・・やっぱり前のオーナーが大事にしていたのが
よく分かるほど、ハンドルを握ると何とも言えない
しっかりとした手応えが伝わり、
エンジンを始動させ走り出すと
その手応えが更に強くなる。

バイクという鉄の塊なのに血の通った生き物のような
気さえしていたのだ。

が、新はその辺が真っ新である。
一応14000km走っている中古車であるにも関わらず
何にも感じないのだ。

ついでに言えば、仕事で‟ほぼ新車(走行距離1000km)”を
毎日乗っていた事があるんだが、
そのハンドルを握った感じが今のWの感覚と
非常によく似ている。

バイクに限らず車などでも中古の場合
「前のオーナーのクセがある」
なんていうが、
あれは本当に単純な機械的クセだけなのだろうか?

流石に作られてたった数年のバイクや車に
付喪神が宿る事は考えにくい。

が、ダンナの話の理屈でいけば
残留思念、つまり人の‟念”というのは
比較的簡単に宿る。

簡単に宿るがゆえに、簡単に落ちもするが
皆が言う‟クセ”の中には
そうゆうものもあるのではないかと
思ったりもした。

おかわりしたわけではないが、
前の前の愛車CB400SSも
旧Wと似たような感じがしていたから
私が感じるコレは多分前のオーナーの思念的な
やつなんだと思う。

このバイクの件もダンナに話してみたんだが

ダ「君の場合はクセを感じるよりも残留思念を読んで
いる可能性が高い。
だって君、そもそもメカニック的な事疎いし

という事だった。
(最後の一言にとても冷静さを感じる)

ちなみに例え同じくらいの使用年数でも
乗りまわしていた人間の性格(愛着とか執着度)
により短時間でも念がつく場合もある。

また、これは非常に稀だが、
製造工程でなにがしか問題のあるものが
原材料に混入した場合
それが残ってしまって新品でも
妙に念がついたモノになったりする事もあるそうな。

※原材料とは、つまりフレームに使われる鉄など。
鉄はリサイクルされるから、
当然様々な事情により廃車になった車体
も含まれる。
ただし、大体は溶かされた時点で念など消えるものらしいが、
ごくごく稀に残る事もあるらしい。

さらぴんW

そうゆう意味で、今のWは中古車であるが
私に言わせたら、‟ほぼさらぴん”のバイクだ。

スペックとかそうゆう意味ではなく
‟見えない部分がさらぴん”

少なくとも私にはそう思える。

旧WやCB400SSは、いわば言葉を覚えた
「どこいつ」のポケピみたいなもので、
ある程度の会話が楽しめる。

ダンナ曰く、何処となく私と似ているらしいトロ

新しいWは、もっとその前段階。
言葉も概念も知らないような状態にある。

そう、これから私が色々と教えていくのだ。
そして教えると共に私もW800というバイクを
学習していくのだ。

基本、相当の事がなければ手放す気はないのだが、
もし万が一このWが誰かの手に渡った時
「あぁ、前の人、大事にしとったんやなぁ」
って、新しいオーナーが想えるようなバイクに
これから育てて行きたいなぁと思ったりする。

 

まぁ非常に馬鹿馬鹿しい話ではあるが、
世の中でまことしやかに囁かれる不思議な話の中には
‟愛車に命を救われた”
なんて話がいくらでもある。

自分の愛車を大事にする事は、
自分や他者への安全配慮にも繋がるわけで、
真偽や事実はともかく
結果的にそれで事故が防げればそれでいいんじゃないかと思うんだ。

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