誰が為に花嫁は微笑む むかさり絵馬

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東北は山形の一部に伝わる死者供養。
冥府の婚礼「むかさり絵馬」

そもそも死人は歳など取らないはずだが、
そのような死者の婚礼は世界的に見てもチョコチョコと存在する。

さて、私には10歳で他界した従妹がいるのだが、
その死から15年後、私はこのむかさり絵馬を自ら作る事にした。

物事は大体「if」から始まる

それから15年ほどの月日がたった。
弟の結婚が決まったのは私が三十路を超えた頃で、
相手は今の嫁である。

とりあえず、まだ母方の祖父母は健在だし、
うちの祖母もボケてはいるが、特別体が悪いわけでもない。
皆揃って弟の晴れ姿を見る事が出来るだろう。

・・・・皆揃って・・・・あ、いや、一人欠けている。

K子ちゃんが欠けている。

あぁ、弟が結婚する歳であれば、
彼女だって、もう嫁に行く年頃じゃないか。

K子ちゃんは弟より2つ下、つまり私の4つ下だが、
そうするともう20代半ばだ。
生きてさえいれば。

もちろん、死んでいるので彼女は永遠の小学4年生なんだが、
もしあの時事故に合わず、無事に成人していたら
きっと美人になっていただろう。

もしも彼女が大人になっていたら。
もしも彼女が花嫁になっていたら。
さて、それはどんな姿だろう。

私は職業柄、頭の中でそれを容易に組み立てる事が出来る。
が、想像はそのままでは誰の目にも留まらない。
あたかもフラスコの中の小人のように、
誰にも存在を知られる事はない。

これが日頃の妄想遊びならそれで構わないが、
きっと彼女の花嫁姿を見たいと願っていた人は多いだろう。

フラスコの中の小人を外に出すには、どうしたらいいのか?
答えは簡単だ。

私が、むかさり絵馬を描けばいい。

最近は自分自身へのウェイトとして、
なるべく空想で描かないようにしていたが、
元々私は空想で描くのが専門だ。

普段、具象で写実に属するものを描いている人間が、
空想のものが全く描けないか?といえば違う。
とりあえず私は違う。

そして絵馬を描くのに特別な能力はいらない。
あれに必要な技量は絵心だけ!!
むしろ、霊感や霊能力があっても絵心がないと無理。
そう、これだけはジジイにもダンナにも出来ないやり方なんだ。

よし!弟の結婚式までにK子ちゃんの花嫁姿の絵を描こう!!

そう思って、早速取り掛かったのである。

死者の為のモンタージュ

手始めに行ったのは、母から
うちにあったK子ちゃんや叔母夫婦の写真を写メしてもらう事だった。
それを元に大よそ20代半ばくらいの顔を作る。

通常のむかさり絵馬は別に故人に似せて描く事はないらしいのだが、
まぁそこは私流というやつだ。
やっぱり追いたいじゃないか、リアリティを。

そして元祖は和装のものが多いが、ここはやはりウェディングドレスだろう。
日本が恥ずかしげもなくドレスを着れるのは、結婚式くらいしかないからな。

ゼ〇シーやネットを見ながら、似合いそうなウエディングドレスや小物を選ぶ。
ついでに新郎に着せるタキシードも選ぶ。

新婦の顔も見えるので、新郎の顔も見えるように描く。
実際の人をそのままモデルにするわけにはいかないので、
確か福山〇治とその辺のモデルを足して割って
‟バーチャルイケメン新郎”を作る。
※何処まで本当か知らないが、こうゆうモノに実在の人間を使用すると、
その使用された相手が冥府に招かれるという話があるので念のため。

ちなみにブーケは、大輪のカサブランカにし、
背景にもあしらった。

筆に乗り語るモノ

他の絵描きはどうか知らんが、
私にとって「描く」とは、
絵の中の対象物と「語る」と同意語である。

特に目の前にないモノを描く時は、
絵を通して色んな事を語り掛ける。

実際絵に描かなくても、その周囲や
そこに至るまでの物語を全部想像する。

現実に目にしているのは目の前の紙なんだが、
頭の中は遥か遠く。
いずこにあるとも知れない場所に心を馳せている。

こんな事をしているせいか、私には描いている時の記憶がない。

記憶がないというと語弊があるかもしれない。
別に空白の時間があるわけではないし、
その合間合間の生活の事や手順は覚えているのだから。

ただ、なんというか自分で描いた気がしない事がよくある。
そして出来が良ければ良いほど、その感覚が強い。

ちなみにペンや鉛筆だとそうゆうのが少ない。
筆、絵筆を握っているものだと度々起こる。
(だから私は人前で描かない事にしている。なんか嫌だから)

最近はこれをネタで「筆神様ご着到!!」と呼んでいるが、
実際、こうゆう時に変な体験や奇妙な感覚を味わう事も多いので、
あながち大外れでもないのかもしれない。

これが始まると、猛烈に眠くなり、眠いのに中々筆を離せないという状態になる。
更に異様に腹が減る。
でも食べる間が惜しいので、大体キャンバスを睨みながら
簡単なモノを腹に詰め込み、再び作業に戻る。

全ての事を放り出し、時間の許す限りキャンバスに齧りつくので、
1枚描くと2キロは痩せて、アトリエ兼自宅が‟片付けられない女の部屋”になっている。
(次作に取り掛かる前の作業が‟まず掃除”から)

この時も案の定そんな状態で、
しかも私はこの頃猛烈に体調を崩し、体重が40キロを切っていた。

原因不明なのを良い事に
メンタルクリニックで適当な診断書を書いてもらい、
ガッツリと傷病休暇を取り、
フラフラしながらキャンバスに向かっていた。
(余談だが、後日原因は甲状腺機能低下だと判明した。
甲状腺機能が回復したら勝手に治った)

そうだな、少し描き進んだ所だったかなぁ。

そもそも、この絵は叔母にあげようと思って描き始めたものだ。
まぁ実際には叔母夫婦、というかT家(K子ちゃんの家)にあげるのだが、
私が一番に考えていたのは叔母だった。

‟子を亡くす悲しみ”というのは、やはり母親のほうが強いのではないか?
と思う。

男を軽んじているとかじゃなく、
‟十月十日腹に収めて世に出ても生きて行けるように育てる”
というのは、口で言うほど生易しい事ではないと思うからだ。

生命維持装置を外す時、どうゆう状態か一番よく分かっていたのは、
看護師である叔母だったと思うんだ。
聞いた話によれば最終決断を下したのは叔母だったそうだ。

己が生んだものの人生の幕引きを、己が決断する事を迫られる。
それは、これ以上ないほど酷な事だと思う。

まぁあとは、単純に私と直接血が繋がっている身内は叔母だからだ。
叔母とはよく買い物にいったり、話をして接点が多かったからな。

叔父は確かに良い人だが、あまり接点がなくよく分からない部分がある。
うちの親父と違って、いつも忙しそうにしていたからな。

だから、叔母の事を考えて描き始めたはず・・・な・ん・だ・が。

‟お父さん、元気にしているだろうか?”
‟もう年なんだから無理したら嫌だなぁ”

・・・・あれ?

筆を持ち、絵に向かう。
筆を進める。
そうすると、頭の中を巡るのは叔父の事ばかり。
どうゆう訳か、いつの間にか叔母の事が頭から消える。

先の通り、叔父は私とはあまり接点のない人だ。
そうだな、叔父については彼女の葬儀の時、
「K子の代わりに綺麗な花嫁さんになってくれ」
と言われた事だが、その頃から人生設計に結婚が入っていなかったので、
内心「え~~~(;・∀・)」って思ったのが、多分一番鮮明な記憶。

でもこれは多分私の考えている事ではない。

それに、下絵として顔は作ってあるのに、
なんというか・・・最初の予定と違う顔になっていく。
悪くはないが、何か違う。
なるべく戻すべく筆を進めようとすると、筆が止まる。

オマケに、特に理由もなく涙まで出てくる。

・・・・・・あぁ、しまった、
‟本人”来ちまったよ。

遺影肖像なんかをやっていると・・・よくこうゆう事がある。
描いていると、自分が考えていると思えない事が頭から離れなくなり、
それとなく依頼者に聞くと
「どうしてそれ知っているんですか!!」
と言われる・・・アレだ。

他のモノでも内容は違うが、あったりする。
そしてそのせいで筆が止まったりする事もある。

まぁこうゆう事があるから「筆神様、ご着到~!!」と言うんだが、
いやまさか、このモンタージュで本人が来るとは。

しょうがない、しょうがないなぁ。
帰れとも言えないしなぁ。

じゃあまぁ、終わるまで好きにしたらいいわ。
そして、君が好きなように筆を動かせ。
心配するな、君に絵心がなくても私にはある。
存分にそれを使うがいい。

そうやって、なんか後ろに人が立っているような状態で、
時々「お兄ちゃんが」とか
「お父さんが」とか
そうゆう思考が頭に流れ込んでくるのを感じ、
時には意味なく号泣しながら、
なんとか結婚式までに描き上げた。

古い写真・同じ顔

さて、弟の結婚式にはまた色々不思議じゃないが
人に話すと大爆笑なエピソードがあったんだが、
それはさておき、その日の夜だ。

田舎では大体新郎の家などに関係者が集まり酒盛りをする。
が、私は諸事情により自室に引篭もっていた。
(大体、この時体重が37kgとかで、それなのに着物着てビデオカメラ抱えて、
結婚式と披露宴に出ていたんだから疲れてたし。
着付けの人に「巻くタオルがない!!」とキレられたくらいだから相当)

宴もたけなわを過ぎ、大虎を送り返して比較的おとなしい人々のみに
なった頃、ピザを取ったというんで私はやっと自室から居間へ降りた。

皆でピザを囲みながら談笑していたんだが、
私はあの絵をいつT家に届けるか?という話を母にした。

叔母夫婦は式の後、我が家には寄らずに帰ってしまった。
2~3日後に母がT家に行くような事を言ったので、
持って行ってもらおうと思って忘れないうちに切り出したのだ。

当然の事ながらその場の人々は「見たい」というので、
見せる事にしたんだが・・・
包みをほどいて蓋を開けた瞬間、
凍り付く、場の空気。

私「え?あ?何?そんなに酷い?あげちゃ駄目?」

あまりにも全員が無言なので声を掛けると、
そのうち一人がスッと立ち上がり居間を出て行った。
かと思ったら、‟何か”を持って戻ってきて

「これ・・・見てみ」

と、それを広げて見せた。

それは、私の両親の結婚式の集合写真だった。
ハッキリ言って両親と祖父母以外は誰か分からない。
何しろ四半世紀前の写真だからな。皆容貌が大分変っている。

私「なにこれ?おかんの結婚写真じゃん。こんなのあったんだ、初めて見たわ」

つとめて明るく言ってみると、逆にピシャリと
「そうじゃない!」と全員が言う。
そして指を指した先に・・・・私が描いたK子ちゃんの花嫁姿に瓜二つの顔がある。

‟何となく”どころではなかった。
雰囲気どころか、顔形、表情、背格好、あげくは髪型まで。

唯一の違いは、その写真の人は花嫁衣裳ではない事くらい。
・・・これは誰だ?

私「まさかとは思うけれど、これはT叔母の若かりし頃?

全員、無言で頷く。

私「・・・若い頃、ガチで美人だったんだな。月日は残酷だ」

もちろん「言うに事欠いてそれか!」というツッコミは入ったが、
冗談でも言わないと持たない雰囲気であった。

しばらくの沈黙ののち、
母「私があんたに送ったT子の写真って・・・割と最近の写真だったよね?」
私「そうだよ、最近の50を超えたT子叔母ちゃんの写真だったぜ?」
母「それ見てこうゆう風に描けるわけ?」
私「さぁ?でも私はK子ちゃんの子供の頃の顔と、
叔父さんと叔母さんの顔を参考にして描いたんだよ。
まぁただ・・・ちょっと変な事はあったけどな

という訳で、描いている間にあった奇妙な事を
掻い摘んで皆に話した。

「お父さん子だったからね」
と、私以上に当時の事を覚えている人々は口にする。

お父さん子だったけれど、T家の大黒柱の叔父はとても忙しい人だった。
実家での集まりに叔父がいる事のほうが少なく、
だから私もイマイチ叔父と言う人が分からない。

そういえば、彼女は時々妙に寂しげな顔をしていたが、
それは宴の席でT家だけが父親不在だったからなのかもしれない。

‟顔”については、小さい頃のK子ちゃんはどちらかというと
父親似だった。
叔父もそこそこ美男だから、どっちに似てても端正な顔なんだが、
母親によく似た顔だったのは、どちらかというと長男だ。

「女の子は小さいうちは男親に似ている。年頃になると母親に似てくる」
と誰かが言ったが、
なるほど、私の読みが外れていたから途中で修正を入れたわけだ、本人が。

とにかく、絵は私が名古屋に戻った後にT家に届けられ、
その後、叔母が号泣しながら電話をしてきて、
以後、T家に飾られる事に相成った。

後日談とむかさり絵馬について思う事

「死んだ子の年を数える」ということわざがある。

もうどうにもならない事をいつまでもクヨクヨと
考えても仕方がない・・・という意味合いで、
それは「済んだことより先を見ろ」という戒めのようなものだが、
実際、大事な人を失った人には、また違った意味で聞こえるだろう。

私には子供はいないが、私は今も亡くなった大事な友人の誕生日と
猫達の誕生日を手帳に毎年書く。

恐らくどちらも一生書き続けるだろう。
(猫については30歳まで数えたら数えるのはやめる事にしているが)

ある部分、私には命日よりもそちらのほうが重要だ。
その日、彼女たちが生まれなければ私と出会う事がなかったのだから
その日は私と彼らだけの記念日なのだ。

だから、毎年手帳を変える度に忘れずに書き写す。

その過程で「もし今、彼女たちが生きていたら・・・」と思ってしまうのは、
過去に捕らわれているなんて大袈裟なものではなく、
ごく自然な事だと私は思うんだがな。

ある部分「if」という想像は人だけのもので、
それがあるから今の世界がある。

実際「むかさり絵馬」というのは、死者のためというより、
残された者を慰めるためにあるものだと私は思う。

これまで何人も子供を亡くされた人に出会ったが、
その悲しみというのは簡単に癒えるものではない。
安っぽいセラピーなんで出る幕もないほど深いものだ。

 

後日談として、それから数年後、T家を訪問する機会があった。
そういえば、T家を訪れるのは葬式の時以来だったから、20年ぶりだろうか?
(叔母は度々我が家と祖父母宅に来ていたが、その逆は全くない)

K子ちゃんの葬儀から数年後に家を新築したと聞いていたのだが、
確かに以前訪れた時とは違って、新しくモダンな家になっていた。

その家の居間に・・・あの絵が飾ってあった。

「何もこんなところに飾らなくても」と思わなくもないが、
絵描きとしては嬉しい。

叔母が作るのにハマっている自家製チーズケーキをつつきながら、
久しぶりに自分の描いた絵を眺める。

絵の中のK子ちゃんは、白いドレスに身を包み、
私が描いた通りの微笑みで私を見降ろしているのだが・・・

その顔に違和感を覚えて名古屋帰還後、記録として残しておいた
写真フォルダを開いた。

・・・・・・・・・顔が変わっていやがる。

大きな変化ではないのだが、微笑みの雰囲気がまるで違う。

流石にこの事は、身内の誰にも言っていない。
言う必要などないのだ。

その顔は、共に描かれたカサブランカのように
艶やかで非常に満足げ・・・・なのだから。

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