山頂ネクタール

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別に「山ガール」というわけじゃないが、
私も一応山に登る。

まぁ元が山の麓に住んでいて、
子供の頃は山を走り回ったり、
木登りしていたクチだから
中級くらいの山まではどうって事はない。

ただ、山に入るとちょっと不思議に思う事が
たまに起こるのさ。

そうだ、山へ行こう!

雨水、啓蟄を過ぎ、
夕暮れが日に日に遠くなる。

それに伴い、ピリリと尖っていた風も丸くなり、
まろやかな香りを含み始める。

世は春。

そうだ!山へ行こう!!
チャララ、チャララ、チャラララ~♪

とはいえ、もちろん〇Rで行くわけではない。
これよ、これに決まってんだろう!!

今日もまたツーリングも兼ねて、
早朝から山へ走る。

前の愛車CB400SSを手に入れて、
ツーリング以外に増えた趣味は
登山である。

とはいえ、別に登山がしたかったわけじゃない。

用事があって山へ登る事になり、
また更に
「あの山に行ってこい」
とジジイに言われて登り、
「そっちに行くならこっちの山も」
とダンナに言われて登る。

そして山と言うのは繋がっている場合なんかもあって
登山口を調べている間にそうゆうのを見ると
面白そうに思えてくる。

・・・・で、またしても

やっているとなんだか
楽しくなってしまって止まらない

という不治の病が出てしまい
今に至る。

ただ、私はあまり「登山している」という意識がなく
「行ってみたい場所、見てみたいものが山の上にあった」
という感覚だ。

まぁ面倒なので人には
「山好きです!」
と言うんだけどな。
(つまらない用事を断る時の絶好の口実にもなる)

特にこの日登った鈴鹿セブンマウンテンのうちの一つは
・・・山頂に奥宮さんがあって
奥宮さんへ参るために登っているのだ。

山におわす神、
山を持っている神は
何故か私と相性がいいらしい。

当然この「相性」というのは、
願いを何でも聞いてくれるとか
行くと運気アップするとか
そうゆうものではなく、

単純に私が居心地よく、
行くと何となく元気になって戻ってくる

というビミョーなものだ。

神と酒と米

で、奥宮さんに顔を出す時は
そこまで無事に来させて頂いたお礼と
日頃世話になっている礼もあって、
手土産にを持って行く。

酒と言っても奉納をする時のような
のし付一升瓶ではなくワンカップ。

どの道供えて祝詞をあげた後は
周りに撒いてしまうので、
この程度で丁度いい。

銘柄も特に指定は入らない。
もちろん、指定を入れてくるモノもいるが、
今の所、この山のお神が銘柄を指定した事はない。

ただ、何となく、
純米酒にはしている。

なんというか・・・この国の神さんは酒が好きだ。
もう少し原料的な話をすれば「米」が好きだ。

儀礼的な話ではなく、
なんとなく昔から
「酒っつーか、米好きだよなぁ」
って私が勝手に感じている話だ。

特に山の神さんは・・・
原料の米よりも、そこから作る酒が好きなようだ。

これにも特に根拠はない。
単純に‟米どころ”で‟酒どころ”で育ち、
酒といったら日本酒だろう!!
と私が思っているからかもしれない。
(もし私が九州生まれなら焼酎だと思うかもしれんけど)

そして
「米と水と米麹だけで作るっつったら純米酒だろ!」

というわけで・・・横に安い酒が並んでいても
ちょっと奮発して純米酒を買うのだ。
※別に純米酒が一番美味いというゆう話ではない。

だからこの日もお決まりのように
純米酒のワンカップをリュックに放り込み
えっちらおっちら山を登っていったのさ。

水のような酒

途中でアセビの写真なんかを撮りつつ、
のんびり登って2時間ちょっと。

いつもの奥宮に到着。

荷物からワンカップを出して、パッカンと開けて
供えて・・・まぁここに来た時くらいは
祝詞をやらしてもらう。

別に山に限った話じゃないが、
何故か私は六根清浄が好きで
特に山では人さえいなけりゃ
大祓だけじゃなく、六根清浄もやらせてもらう。

まぁそもそも、この六根清浄という祝詞を
日常的にあげるようになった話にも
奇妙なエピソードがある。

というか、そのエピソードがあるまで
私は「六根清浄」という言葉すら知らなかったんだけどな。

更に吉野に行くようになってから知ったのだが、
修験で山を歩く時にゃ
「懺悔懺悔、六根清浄」
と掛け念仏を唱えるんだそうだ・・・・。

・・・とりあえず、あげちゃあかんという事は
ないみたいだ。

で、祝詞をあげて
最後に酒を撒く前に
一口頂くのが決まりというか
毎回のお楽しみだ。

どの位の人が気付いているかは知らないが、
不思議と神の‟お下がり”っちゅーのは美味い。

酒でも飯でも何でも
何故か美味くなっている。

私はこれに味をしめ、
子供の頃からお神酒を飲みまくっているのだが、
自分で祝詞をあげた程度でも・・・美味いのである。

確かに移動はバイクだが、
一口くらいであれば無問題。

いつものようにカップに口をつけ、
舐めるつもりで口に含んだのだが・・・・おや?

酒の味がしねぇ。

え?と思った余裕もあったかどうか、
そのまま手がグィっと
私の意思に反してぐぐぃっと
動く。

口の中には舐めるどころか
大量の酒が・・・

いや酒が入っているはずなんだが、
口にモノが入っている感じもしねぇ。

口から溢れたものは
確かに喉を通って胃に落ちているはずなのに
腹にモノが落ちた感じがしねぇ。

はっと気づいて
「帰りはバイクっすから!!ここまで!ここまでご勘弁下さい!」
と、なんとか口を話した時には
すでに1/3はなくなっていた。

恐らく、あそこで気付いて無理やり口を離さなければ
そのまま1本空けていただろう。

確かに私は超ド級のうわばみで、
ウィスキーをラッパ飲みするような女だが
それでも口に入れたら水と酒の違いは分かる。

それが、この日の酒は
水のようというか、
まるで空気のよう
今までの人生でそんな酒は飲んだことがねぇ。

他所でもそうだし、ここでもだ。

見えない相手と一杯の酒を分かち合う

その後少しの休憩をはさんで下山したのだが

酔いが回るどころか、
いつもの1.5倍速くらいで
下山した。

一応、飲酒運転にひっかかると困るので
下の境内をウロチョロしながら写真を撮る。

椿の神社なので、とにかく方々に椿がある。

満開ではないけれど、咲き掛けの一番初々しい桜

更に普段ならまっすぐ帰る所を
御在所SAに立ち寄り昼飯も食う。

なので、多分飲酒運転には当たらないはずだ。

そもそも、普段の1.5倍速で山を下りた時点で
「これで飲酒運転言われたら理不尽ハンパない」
とは思っていたけれど(笑)
※小型のアルコール検査機は、ミン〇ィアで飲酒になる理不尽測定。

 

帰宅後、早速ダンナにこの話をしたら

「そりゃ、その酒を飲んだのはあんたじゃなくって
そこの神さんだから。
神さんがあんたの体使って飲んだんだから酔うわけないよ」

とさも楽し気に言っていた。

うちのダンナは、私とは正反対で
養命酒でもフラフラするほどの下戸だが、
時折こうゆう体験をするそうだ。

色々やって、最後に
「どうぞお飲みください」
とグィ~っと酒を煽っても
そうゆう時はちっとも酔わず、
水を飲むより容易く大量の酒を飲んでしまうんだと。

「まぁ、それはあんたの考えが、
ちゃんと神さんに届いているって言う証拠だから」

私の考え・・・ねぇ。

実はいつもの奥宮訪問なんだが、
ただ一つ、いつもと違う事がある。

この日は、私の誕生日
奥宮についた時刻は
私の産まれた時刻から
まだ半日も経っていない頃だった。

生きていれば当然だと思うが、
いくつになっても迷いや悩みは尽きない。

この日も色々考えながら山を登っていたし、
多分、ゆっくり考え事をしたい時に
私は山へ向かっている気がする。

ただな、登っているうちに
そうゆうものがどうでもよくなる。

確かに何処へ行っても特に願掛けをするわけでなく、
願うとしたら人の事。

「自分の事は自分でなんとかしますよって」

と突っ張らかって来たけれど、
私だって弱気になる事はある。

流石にそろそろギブアップだから
試しに助けてくれと言ってみようか?
なんて考えてみたりするんだが・・・
山頂につくとどうでもよくなってしまって、
結局
「いつもありがとうございます」
と言って帰ってきてしまうのだ。

まぁ何をするにも結局基盤は体であり、
たかが900mと言えども
五体満足健康でなければ
それすら登れない。

いや、五体満足でとりあえず健康でも
登れない人だって当然いる。
実際、知り合いがこの山に登ろうとしたが、
途中で断念したと言っていたしな。

私より体の大きな人でも登れない山を
私は特別なトレーニングも装備もなく、
子供の頃に身に着けた
山歩きの勘と足腰の強さ、
年の割に身軽な体だけで
ホイホイ登ってくる。

オマケに山までの道中はバイクだ。

最近車にも乗るようになって思ったが、
やはり車に比べるとバイクは体力がいる。

今はまだバイクにも乗れるし、
そうして山の上にも来れる。

だったら他に何を欲しがる事がある?
とか思っちまうんだ。

別に無欲なわけではない。
私だって人並みに欲しいものはある。

だが、それ以上にこうして山を歩き
頭が空っぽになる時間のほうが大事な気がして
・・・結局、大したことは言わずに帰る。

ダンナが言う「私の考えが届いている」なら・・・

多分この先も私は体が動く限り山へ来て
山の主たる神と一杯の酒を分けて飲み続ける
というささやかな願いが叶えられるという事だ。

考え方によっては、
これはとても尊いことなのかもしれん。

私は別に霊能者でもなけりゃ、
特別な力があるわけでもないから
姿が見えるとか
何かお言葉を頂けるってわけじゃないが、

たまにこうして心の澱を祓ってもらえればそれでよい。
ついでに一口でも美味い酒に在りつければそれでよい。

多分、その答えが
あの不思議な酒の味だったんだろうなぁと思う。

大体、神との距離の取り方はこれくらいで
ちょうどいいんじゃないかと思う。

野生動物と一緒で
寄り過ぎないのがお互いのためなんだ。

あぁそれにしても、
あの酒は美味かった。

表現としては水のようとしか言えないけれど、
不思議と美味かったと思う。

ギリシャ神話には「神酒ネクタール」というものが出てくるが、
意外とネクタールの味と言うか、
神が酒を飲むとはあぁゆうものなのかもしれない。

何故そう思うのか?

先の通り、別に日頃から特別なトレーニングをしてない私だが
この翌日も
更に翌日も
何故か一切筋肉痛にならなかった。

神々の常食・常飲については、色んな神話に記述があり、
その効果は大体が不老不死や高い滋養という
体を健やかに保つものだ。

確かに今回、初めてアミノバイタルゴールド
ドーピングしてみたけれど、
それにしては・・・あまりにも筋肉痛も疲労もなくて
正直驚いているんだ。

そうして考えると・・・
アミノバイタルよりも何よりも、
あの特別な一杯の効果としておく方が
私にはしっくりくるのだよ。

さて、次にご相伴にあずかれるのはいつの事か。
まぁこうゆうのもたまにでえぇ、たまにで。

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