お不動さんの半分は優しさで出来ている

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世の中に溢れる怖い話や不思議な話というのは、
語り手の体験談
語り手の友達の友達の話
というのがパターンだ。

特に前者については
「そんなの見間違いじゃないのか?」とか
「思い込みじゃないのか?」
という扱いを受ける事が多い。

これについては当然と言えば当然だ。
その現象について他に目撃したものがいないからだ。

稀に複数人で同時に体験するパターンもあるが、それだって
「集団ヒステリー」だの
「全員で一発キメてたんじゃないのか?」
って話にされてしまったりする。

でも・・・・

もしも面識のない者同士が、
それぞれ別の場所で
話が一致するような体験をした場合はどうだろう?

今宵はそんなちょっと不思議な話を語ろう。

お不動さんの仰せつけ

うちのダンナが、嫌々ながらも修行を始めた頃の話だ。
そうだな、まだダンナが30代の辺りだろうか?

まぁダンナもジジイもお不動さんに縁深い人達なんだが、
ある時お不動さんがダンナに

「お前、もう一人で滝に入れ」

というような事を言ったそうな。

‟滝=滝行”

滝行ってのは言わずもがな、
滝に打たれるアレだ。

一見、滝に打たれりゃそれでOKそうな滝行も、
実はあれもアレコレソレの手順だとか作法がある。

そして、通常は一人で滝には入らない。

いや、滝に打たれる時は一人だけれど、周りにはちゃんと人がいる。

特に必ずいるのは
“先達(せんだつ)”
と呼ばれる監督役だ。
これは別に神社でやってる“禊祭”だけに限った話ではない。

理由は簡単。
危ないからだ。

行に使う滝っていうのは、霊的に特別な場だ。
特別と言っても、いつも特別な訳ではない。

行を行う前に然るべき手順と作法で“滝を開く”から特別になる。
そして、形だけの手順と作法で滝は開かない。

滝を開くというのを言い換えれば、
異界への通路を開き修行を助けてくれる神や仏を呼び出す事。
だから、滝行の前段階の“滝を開く”ってのは誰でも出来る事ではない。
先達はまずその滝を開くって事が出来なきゃならない。
これは天然の滝でも、人工的に作られた滝でも同じだ。
(人工的に作られた滝でもそれ仕様に作られたものなら問題ないそうな。
むしろ天然の滝のほうは落下物という物理的な危険もある)

まぁそんなわけで、普通は一人で滝に入るってのはない。

ダンナもこの話に則り、それまでは京都の‟きつね~ランド”で、
師匠や仲間と一緒に滝行をしていた。

それが「一人でやれ」って言う事は、滝を開く所から何から何まで
‟全部自分でやれ”
って事だ。

ダンナだって当然その事を知っていたし、
そもそもやるにしても
「何処で入れっていうんだ?」
って思ったらしい。

そこで
ダ「そんな無謀な事をさせてくれる所あるのかいな?」
とお不動さんに聞くと場所を教えてくれたそうだ。

滝を借りる

お不動さんが「大体ここな」と言った場所に行ってみると、
実際、そこには寺があった。
しかもご丁寧に寺名に‟〇〇不動”と入っている。
そしてどうやら滝もある。

勿論、ダンナはそこの寺には一度も行った事がない。
ついでに言えば、そこに寺があった事すら知らなかった。

この寺の場所は確かに私も知っているが、
市内とは名ばかりで、名古屋市と言っても外れも外れ。

オマケに今のようにネットもないし、
そもそも滝を一般公開している時代でもない。

普通に考えたら見ず知らずの行者の卵がやってきて
「滝使わせて下さい」
と言った所で、「はいどうぞ」って使えるわけねぇ。
コンビニでトイレ借りるわけじゃないんだぜ?

どうせ駄目だろうと思って行ったんだと。

暗躍するお不動さん

“ダメモト”で、寺に入ると、
当時の住職が入口で待ち構えていて

住「お待ちしておりました。
お話はお不動さんからお伺いしております。
もうお滝の準備してありますから

と、何の躊躇いもなく言ったんだそうな。
これにはダンナのほうがビビったらしい。

何しろ、うちのダンナだって元々‟Vシネマの国の人”
なので、仕方なしにやり始めたとはいえ半信半疑なのである。

それなのに、
自分しか知らない事を他者が知っていて、
オマケに準備までして待っていた。

これは一体どうゆうこっちゃ?と住職に聞くと、
住職曰く、数日前にお不動さんが住職の前に現れて

「これこれこうゆう風体の者がやってくるので、
滝を使わせてやって欲しい」

と、のたまったそうな。

なんという根回しだろう。
これでは‟不動明王”というよりも
‟不動さん”という営業か企画の担当者のようではないか。

ダンナやジジイが
「お不動さんはあぁ見えて優しさで出来ている」
と言っているが・・・
優しいと言うより、世の中の仕組みをよくご存じでいらっしゃる。

「やる気だけではどうにもならん」という仕組みを(爆)

そう、仏界ではどうか知らんが、
現世ではやる気だけではどうにもならんのだ。
何をするにも‟根回し”
これが重要だ。

 

で、ダンナはそれからしばらくそこの寺に通って、
滝を使わせてもらっていたそうだ。

勿論、入る時は一人だ。
お不動さんとそうゆう約束だったからな。

で、この辺が神社の禊祭との違いなんだが・・・
ダンナやジジイの滝行は
般若心経を何度も読み上げるまで出てこれない。

ちなみにダンナが先達で人を入れる時も
般若心経を最低一度読むまで出してもらえない。

このダンナ、もしくはジジイ式の滝行は、毎月禊祭に出ている
神職さんも「嫌だ」と言っているそうな(;・∀・)

ダンナ達はいつも物凄いピッチで般若心経を読むが、
何故そのピッチになったか分かる気がする・・・・。

よゐこはマネしちゃ駄目、絶対の理由

先に散々「一人で入るもんじゃない」と書いたが、
ダンナがそこで滝を使わせてもらっている間、
ちょっと事件があったらしい。

普段そこで滝行をしている人が、
「あの人が一人で入っているんだから、自分も出来る」
と、ダンナと同じように一人で滝に入ろうした事があるそうだ。

滝に入った瞬間、吹っ飛ばされて怪我したんだと。

いや、別にナイアガラの滝みたいな凄い滝じゃないらしい
よ。
水量としては見た目大したことない滝らしいんだ。

そしてその人もヒョロヒョロの人ではなく、
武術なんかもやっている屈強な人だったらしいんだ。
(なんか機〇隊員だったらしい)

でも・・・・入れなかったんだと。

冒頭で“危ないから”って話をしたのは結局コレだ。

一人で入れない人、入るべきではない人は、どんなに細い滝にも入れない。
そうゆう事がないように先達がつくんだって。

 

こうゆう事もあり、ダンナはそこの住職にいたく気に入られて
「うちに養子に入って後を継がないか?」
とも言われていたそうだ。

だけど、何しろ一人が好きな奴だから
「俺の事養子にしたら、さっさとこんな寺売り払っちゃうよ」
って断ったらしい。

うちのダンナは何でだか方々で気に入られて、
アチコチで養子の話があったらしいが、
こんな調子で全部断っている変な人だ。

 

そして、この寺は今もある。

住職変わっちまってから、ちょ~っと方向性が狂っちゃったみたいで、
なんか凄い事になってるんだけどね(;・∀・)

この寺の前を月1~2回バイクで通るんだが、
何故かそこだけいつも妙に寒い。

これが地形のせいなのか、
それとも最近凄い事になっているせいなのか、
それについては判別は出来ない。

・・・が、基本ダンナと縁のある場所には行ってみるし、
ダンナも「行ってこい」と言うのだが、
ここだけは行く気にもならんし、ダンナも行ってこいとは言わない。

 

不思議な話には確かに本人の勘違いや思い込みというのもあると思う。

でも、全てにおいてそうだと言い張る人には、
この話のからくりを是非考えて欲しいものだ。

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