花の怪 ~桜奇譚~

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昔から木に咲く類の花が好きだ。

梅、桃、木蓮、椿、
そして

桜は花が咲いても、若葉でも、
冬の裸木でも好きだ。

付属される毛虫はさておき、枝ぶり、葉、幹の質感、
何処を取っても美しい。

好きだからなのか、それとも
何か繋がりがあるから好きなのかは
分からない。

が、桜の木にだけ、特別に見えるものがある。

花の怪

以前、足繁く通った白山社にも見事な桜の木がある。

それ単体で話題になるような特別いわれのある木ではないし、
私は樹木について特別目利きの出来る人間ではないが、
とにかく見事だ。

「神社によるストーキングの法則(笑)」に則って
神社の横に居を構えていた時は、
花の時期だけワンカップ片手に出掛けて行って
境内でよく夜桜を見ていた。

まぁ花も見事だが、
そこには美しい怪異が住んでいる。

麗しき桜の女史

怪異と交わる能力には色んな呼び名、
色んな種類があるものの
ある程度の相性や方向性というのは誰にでもあるらしい。

かくいう私も0感だが、
私の場合相性や方向性が非常に影響するらしく、
たまに‟よく視える怪異”がいる。

視え方は様々だし、本来あれらは形なんてあってないようなものだが、
中には当然
“ある程度の人の姿”
を取って現れる奴もいる。

人の霊なら生前の姿という事で納得がいくが、
そうではないものは、どうしてあんな姿に見えるのか?

その原理や理由は分からんが、
とにかくその社の木に住む怪異は、いつも
長い髪の女性の姿
で現れる。

神社の木にいるから巫女装束かと言えばそうではない。
ハッキリ見えないので何とも言えないが、
着物は打掛(うちかけ)のように長い裾と袖があるようだ。

そして、なんと、季節毎に衣の色が変わる!!

あたかも桜の木に合わせるように、
はっと気付くと・・・いつの間にか衣替えしているのである。

他に人型の怪を知らないわけではないけれど、
神社で見かけるものは大体真っ白な装束が多い。
そして8~9割がオッサン(笑)だ。

そうして考えると、
非常に珍しいし、
実に雅な趣味がある怪異だ。

そんな雅な彼女、
顔はよく見えないが、
印象としてはとにかく美しい。

見えないのに‟美しい”とは変な話かもしれないが、
彼女と対峙する時、心が実体のある美しいモノに触れた
時と同じ状態になるのだから、
見える見えないではなく本質的に彼女は美しいのだ。

もう少し追加するなら、一応人の形を取っているので
‟麗しい”でもいいだろう。

更に彼女が“何モノか?”だが、
以前「この桜の木霊でいらっしゃるのか?」と聞いたら、
誤魔化すようにウフフと笑っていた。

まぁ概ねそうあり、
木霊が社の主の侍女もしているのだろう。

んで、雰囲気や服装から平安時代の女官を思わせる方なので、
私は彼女を
「桜の女史」とか
「桜の女御」
勝手に呼ぶことにしている。

※今や「女史」は差別用語になるらしいが、
ご本人は「桜の女史」と呼ばれるのが一番好きらしい。
ひょっとしたら
「女史=女子=娘=ピチピチ
という風に変換されているのかもしれない・・・。

いつから彼女がそこにいて、
私がそれに気付いたのかは分からない。

しかし、チャリに乗っていた頃は見た覚えがないから、
そこから考えると7~8年という所か。

彼女がその頃にやってきたわけではなく、
多分、私の切り替えスイッチの目盛が変わった
から分かるようになったと考えるのが妥当だろう。

まぁ実際、そうやって目盛が大幅に変わるような
とんでもねぇ事があったのだが、
それはまた別の話だ。

花自慢

見えるだけなら他にも数件事例があるが、
彼女の面白い所は、
用があればあちらから呼ぶことだ。

呼ぶと言っても、別にLineとかしてくるわけではない。
多分、スマホ持ってないから(笑)

日常の中・・・・仕事中とか、犬の散歩をしていると、
何の脈絡もなく頭に社の映像がパッと浮かぶ時がある。
(うっかりしたらウンコ中でも・・・所かまわず過ぎて、
むしろありがたみに欠ける)

まぁスピリチュアルとか好きな人がよく使う言い方で言えば
「ビジョン」ってやつだ。

これは不思議なもんで、頭の中に出るわけじゃない。
頭の外にポワンと浮かんだものを受診する。

ただ、lineと違って「既読無視」は出来ない。

何しろ受診すると、
否応なく既読になり、
なおかついきなり動画再生が始まるような感じだ。

そのように再生された動画では、
社の入口にその人がいるのが見える。
そして姿が見えると何を言っているのか分かる。

この新手のウィルスメール(爆)のようなものが
送信されてくるのは、
大体、花の時期

上記のようにして、ふぃっと姿を現し、
手招きする。

その意味は
「今年も咲きそろったから、散る前に来い」
そうゆう事だ。

んで、中々行かないでいると
「散るから!散るから早う!」
とスッゴイ必死に呼んでくるので、ちょっと面白い。

そして実際に行くと、こぼれんばかりに花が咲き、
その下で「今年も見事であろう」と
非常に得意げな雰囲気を放っているのである。

・・・なんだろうなぁ、
木にまつわる怪異は
自分のいる木を褒められるのが何より好きなようだ。

まぁ彼らにしてみたらいわば‟マイホーム”だから、
人が家を褒められて喜ぶのと同じ事かもしれん。

ただ、そんな花自慢が好きな彼女が、
一度だけ花が咲く前に私を呼んだことがある。

花に嵐、命には散り時

私が最初に飼い始め、
一番長生きした猫は‟長老”と言う猫だ。

長老は1歳下の初代が亡くなった後もそこそこ元気にしていた。
検査でも大きな異常は見られない。

ただ、亡くなる半年ほど前から
妙に透明になっていった。

‟影が薄くなる”という言い方の方が一般的かもしれないが、
私は「透明になる」のほうが
自分の感じ方に合っている気がする。

非常に美しいのだが、
それは寿命が尽きる兆候でもある。

こればかりは仕方ない。
何しろ長老はもはや20歳だ。
人なら白寿、百寿。

ただ、先に看取った猫同様、
どうか私の膝の上から旅立ってくれと思っていた。

そんな3月の始まり。

桜の女史が、いつも通りフイっと姿を現し、
「お越しください、お越しください」
と手招く。
が、異様なのは招くどころか頭まで下げている事だ。

確かにそろそろ桜の時期ではあった。
が、開花にはちょいと早い。

何だろう?と思いつつ、
「花が咲きそろったら伺おう」
と返事を返していた。

それでも時折姿を見せてはコイコイペコペコとする。
その様子は、それは今まで見た事がない
切羽詰まった感じだった。

それから1~2週間もあったかな。
長老が唐突に息を引き取った。

引き金になったのは発作だが、発作の原因自体は不明だ。
何しろ数日前の検査では特別異常は見られなかったからな。
年齢を考えると‟眠るように”とはいかないものの老衰だ。

そのように猫が亡くなっても桜の女史は変わらず私を呼ぶ。
ただ、それまでの必死さが取れて少し寂しげに招くのだ。

 

この彼女の異例の呼びかけについて思う事はある。

ひょっとしたら、彼女は長老の変調に気付いて
私を呼んでいたのかもしれない。

何しろ長老は、
そこの社の主さんに助けてもらった事が
あったからな。

彼女もそれは承知しているし、
多分その取次ぎをしてくれたのは彼女なのだと思う。

だから、時期外れにも関わらず、あんなに必死に呼んだのは、
また今度も助けてくれようとしたのかもしれない。

でも、仮にそうだとして、
彼女がもっと分かるようにコチラに意思を伝えて
きたとしても・・・・
きっと私は申し出を断っただろうなぁ
と今も思う。

前に猫について願掛けをした時は私もまだ若かった。
その後自宅の猫だけでなく、
色んなモノの最期に立ち会って思い至った事がある。

花に散り際があるように、命にもそのような時がある。

以前、願掛けをした時に助けて頂けたのは、
まだそこが散り時という決定が下されてなかったから。
そして今回のは決定だったんだ。

それに長老本人も
自分が世話した猫2匹に先立たれ、
それでも尚残り続けるのは不本意だろう。
特に先立った2匹は、長老がよく面倒を見ていた奴らだったからな。

生きるのは意外と疲れる。

それは人以外もそうなのかもしれないと、
晩年の長老を思い出すたびに考えるのだ。

桜と猫

猫が亡くなって数日後、
私は彼女の招きもあるが、
社の主にこれまでのお礼を述べるために
神社を訪れた。

その日は、それまでの寒さが一気に和らぎ、
桜が満開になっていた。

普通は喪中にあまり神社には入らない。
まぁどうしても入る用事がある時は、
そのような作法があるんだが、
どうしようかと思っていたら
入口で
「そんなのはいいから、早うお入り」
と彼女が手招きをしている。

まぁこの時もいつも通り
「今年も見事だ」と言ったのだけれど、
この日はいつものように得意げな様子ではなく、
少し寂し気に笑うだけであった。

 

一連の流れから行くと、彼女はうちの猫を
気にかけてくれていたようなのだが、

そもそも彼女は、
どうしてそんな事をしたのだろう。

うちの猫というか‟猫”が好きなのか?

思い当たる事はただ一つ。
あの人懐こい野良猫だ。

昔、よく桜の横の塀には野良猫がいて、
私も含め近所の人は通る度に撫でたりしていた。

他にもいい場所はあっただろうに、
いつもソイツは木の下にいた。

多分、彼女はその猫がお気に入りだったのだ。

山におわす神に付き従うモノは、
自分がどんな姿で現れようと
獣好きの傾向が強い気がする。

別にこれに証拠も根拠もない。
ただ対峙した時に
「あ、こいつ・・・・動物好きだ」
と、動物好きの勘が囁く(笑)

もしくは、今もこの猫は見えないだけで
やはりまだ塀の上にいて・・・
猫が最初に彼女に取り次いでくれたのかもしれない。

いつぞや、この猫が何をしたのか酷い怪我で弱っている事があって、
私はその手当てをした事があるんだ。

もっとも猫はその後姿を消したので、
傷が元で死んでしまったのだろうけれど、
猫的にあれはあれで嬉しかったのかもしれない。

どれも推測だが、私個人に何か特別なモノはないからな。
思い当たる事があるとしたら、その程度だ。

艶姿まであと少し

長老が亡くなり数年経った。

今でも、桜の時期になると彼女はふいに姿を現し、
「今年も・・・・」
と私を手招く。

もはやこれは年中行事になってしまった。
まぁ私が生きている間は招かれなくても伺うがね。

普通、人の記憶とは時間と共に美化され、
実際それに対峙した時
‟記憶の中のほうが美しい”
なんて事はよくあるが、
ここの桜だけは見る度毎に美しい。

特別な管理はされていないようだが、
それにも関わらず美しいのは、
やっぱり雅で麗しいあの人が棲む木

・・・・だからなんだろうか?

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