21世紀天狗考察

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スピリッチュアルな話で、よく話題に上がるのは
東洋なら龍、狐
西洋なら天使
な気がする。

こうゆう人気というのは
やっぱりビジュアル的要因が大きいのだろう。

龍は何しろデカい、狐はモッフリ。
そして天使は美の塊である。

だが、この国には古来より人に近くて人ならざる
「天狗」
という妖モノがいる。

鼻高オジサン・・・天狗

結局天狗とは何ぞや?という話だが、
ごく一般的な解釈でいけば民話に出てくる妖怪の一種だ。

1970~1980年代生まれの人が
一般メディアで天狗を目にする順番として、

  • 「日本昔話」で、その存在と名称、大まかな姿を覚える
  • 「ゲゲゲの鬼太郎」で、妖怪的な能力を知る。
  • 「うしおととら」で普通の妖怪とは格が違うって思う。
    (一番最後が片寄っているってツッコミは禁止)

「天狗」の語源は中国で
「流星」の事を指す言葉だったというのが、
一般的な話だ。

んで、まぁそれは凶事の前触れとされていたものだから、
今も天狗には少し禍々しいイメージがついて回る。

日常的に使われることわざでも、
「天狗」がつくものはマイナスイメージのモノが多い。

ここまでが、ごくごく一般的な話。
で、ここからが、頭おかしい話。

天狗とは、龍や白狐と同様にメジャーな存在だと思うんだが、
私の周りの不思議な力があると自称する人々の中で
一番話題に上らないのが天狗だ

確かに龍だの天使に比べると
華やかさに欠けるというか・・・
ハッキリいってしまえば、彼らは地味だ。

「鼻が高い」「顔が赤い」
という身体的特徴を持ちつつも、
一応‟人型”で、人型ゆえに目立たない。

ギリシャ彫刻のように美しくもなく、
常に光り輝いているわけでもなく、
オマケに大体の場合、
人でいう所の
‟オーバー50”
以上の年恰好が多い気がする。

少なくとも私はド派手だったり、
ピチピチイケメン天狗は漫画とアニメでしか知らない。

先に述べた「鼻高」「赤ら顔」は、
それだけで目立ちそうなものだが、
そうゆう典型的な天狗は昔話お面飲み屋でしか
見た事がない。

実際の天狗は大体が普通に肌色。
もしくは色情報があまりない。

いや、色はあるのかもしれないが
そこまで自己主張してこないので
ハッキリわからないのかもしれない。

そして天狗の象徴としてある、
あのピノキオとどっちが長いか?という長っ鼻もあまり見ない。
大体はもう少し現実的にあり得る程度の鼻高だと思う。

その他身体的特徴として、たまに羽のある奴がいる。
私は始め、黒い行李を背負っているのかと思ったが、
あれは黒い翼らしい。

そしてそうゆうのは大体鳥顔をしている。
世の中にある天狗の話を参考にすると、
どうもそれは烏天狗(からすてんぐ)とか、
小天狗(こてんぐ)という種類のようだ。

天狗定番の赤い顔も見た事はあるが、
それはただ赤いのではなく、
妙に顔がデカかった。

「鬼太郎」に朱の盆という下っ端妖怪が出てくるが、
あんな感じで顔がデカくて赤くて鼻が高い。

更にサイズ感は実にマチマチ。
それこそ雀のようなサイズから、
5m級まで様々。

だが、「超大型〇人」クラスは
少なくとも私の知っている天狗の中にはいない。
仮にいたら、それは天狗ではなく、
‟ダイダラボッチ”に分類されるだろう。

・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・え?なんで野鳥観察の報告のように当たり前に語るってか?

そりゃ、見る時には見るからだ、天狗を。

天狗生息域についての考察

いつから見るようになったか?については、
やはり親父が死んだ後からだと思う。

親父の死が原因なのではなく、
その前後にあった怪異的事件と、
葬儀が終わって落ち着いた頃に
中免とバイクを手に入れたのが大きな原因だ。

別にバイクと天狗に関連があるのではない。
バイクと私の行動半径の関係だ。

「足がある」というのは、
道さえあれば電車やバスが通らないような
辺境へも行けるという事。

つまり、自由に走れる足を手に入れた私は
知らず知らずのうちに
古い怪異が多く住む地域に
足を踏み入れるようになったのだ。

怪異分布 ~なんにでも棲み分けはあるらしい~

野生動物ではないが、
怪異にもある程度生息域的なものはあるらしい。

天狗はとりあえず山が好きだ。
今まで街中にキャッチのように立っていたのは見た事がない。

そして何故か巨木が好きだ。
見た感じ特に杉の木が一番のお気に入りのような気がするが、
別に杉以外でも名前の分からん巨木にいたりする。

しかし、木が好きそうだとはいえ、
天狗は別に必ず上にいるわけではない。

木の前に立っていたり、
枝の上に乗っていたりマチマチで、
私はどちらかというと前者タイプを多く見かける。

あとはやっぱり神社とかの境内の木が好きらしい。
これは特にご神木に限らず。
そもそも、神社好きだよね。

ひょっとしたら寺も好きなのかもしれんが、
私自身があまり寺と相性が良くないというか、
寺だけは相性の良し悪しがハッキリしているので
寺はよく分からん。

天狗というのは、
結局あの服装からも分かる通り山伏っぽい。
山伏=天狗って話もあるくらいだから、
それが神社にいるのはおかしいと思うかもしれない。

これについてだが、
別に神社であれば何処でもという訳ではない。
基本「山持ちの神社」に彼らはいる。

山持ちってのは、私が勝手に使っている言葉だが、
括りとして実際山の傍にあり元々山岳信仰のある場所、
ご神体が山、もしくは裏の山に奥宮があるなど、
山と関わる神社の事だ。

神社にしろ寺にしろ、長い歴史の中で祭神が変わっていたり、
元々なにがしかの土着信仰があった場所に社が据えられ、
今まで名無しだった神に後付けで名がつくというのは
結構ある。
明治に神仏分離とかもやってるしな。

そう、表向きに語られている事が全てではない。

私は先入観を持たないように、
大体何処の神社へ行く時も
あまり下調べをしないでフラっと行く事が多い。

で、実際そこへ行ってみて天狗を見かけて
帰宅後に調べると上記に該当したり、
もしくはその周辺には天狗伝説が残っている。

一見自己中自由気ままのように見える怪異も
一応の法則性の上に存在しているというか、
テリトリー分けのようなものはあるっぽいのが面白い。

天狗感知の理由

んで、何故0感の私が天狗を見たりするか?だ。

これはやはり家系の関係だな。
母方の祖母さんは特に山神さんを手厚く奉じていたし、
実家地域的に考えても山岳信仰が盛んな土地柄だ。

それに・・・当時は知らなかったとはいえ、
天狗の住んでいる神社の傍にいたしね。

ついでに言えば、郷土の神さん、ほぼ天狗だし。
何くれとなく世話を焼いてくれているお神も
見た目ほぼ天狗だし。

「0感でも見る時は見る法則」の一つ
‟自分に関わりのあるもの”という条件は
十分満たしているんだよな。
そんな訳で、見る時には見ている。

勿論中には「天狗?天狗なん???」と言うものもいるが、
鼻高でオッサンで雰囲気がそれっぽく、
それっぽい場所にいるのは十把一絡げで「天狗」と呼んでいる。

脈々と受け継がれているらしい‟しがらみ”

で、まぁ私の話だけだと面白くないんだが、
実は身内にもう一人「天狗見た」って言っている奴がいる。

・・・甥っ子(笑)

何気にうちの二代目と数日違いで生まれた甥っ子は、
幼稚園に上がるまで
‟チビッ子霊感”
があった。

そいつがある時、
「天狗がいるぅぅぅ~ごわいよぉぉぉぉ~」
ギャン泣きしていたそうだ。

で、面白いのがその天狗の目撃場所なのだが
あの出る実家の仏間”だ。

先に述べた生息地的に考えると‟家の中”というのは
一般的条件から外れているが、
うちの実家は裏山の社の狐の話を参考にすれば
‟神に連なるもの”
が通っているらしい。

私やダンナ達にとって天狗は妖怪というより
‟神に連なるもの”であり、
どうしてそうなるのかの原因は
単純に立地である。

神社と神社、更にその先の霊山の途中にあるんだよ、我が家は。

これから考えると、
甥っ子が目撃したのは、恐らく社の木の大天狗だ。

多分、時折お山に向かう途中、
怪異のためのパワースポット仏前座布団
にでも座ってほっこりしていたんだろう。

まぁ本人がいくらほっこりでも
見た目が見た目だから。

それは泣く。
良い悪いの問題じゃなく泣く。
ビジュアルの問題ではない、
サイズ感の問題だ。

いや本当。
善し悪しデザインじゃなく、
とりあえずデカイと

「ぎゃあぁ!!」
ってしか思わないから。

天狗でも龍でも
ギャルのブラジャーでも

規定サイズを超えたら
「ぎゃぁ!」だから。

確かにうちの弟は、
同じ血を分けた兄弟と思えないほど
不思議な事に縁がないが、
やっぱり家系に掛かる‟しがらみ”というのは、
脈々と受け継がれるらしい。

結局、天狗は何者なのか?

色々書いてはみたが、結局天狗にしろ龍にしろ
本来は姿など持たず
なにがしかのエネルギー的なものを
見た人間が具象化しているに過ぎない。

※幽霊はとりあえず生前の姿というものがあるので
根本が違うのだよ。

受け取ったエネルギーの印象を
自分が元々持っているなにがしかの概念に
重ね合わせて形にする。

まぁ・・・名前や形があったほうが分かりやすいからな。

ただ、そうすると、既存のイメージの通りのものが
視えそうなのだが・・・・
意外と既存のものと瓜二つのものは見れない。

本当、なんか見る度に
「どっから出て来た?」
という姿だ。

そんな中で天狗は比較的既存イメージに
近いっちゃ近い。

私のイメージであるにも関わらず
同じようなものを同じ場所で見たという話も
当然あるので、
単純にイメージの具象化だけでは済まされないが、
今の所はソレが一番妥当だ。
(多分、集合的無意識とか元型というものに絡んでくる話かと)

たまにダンナと天狗の話をするが、
その度にアイツは
「最近は天狗を見かける事も見れる人も少なくなっている」
という。

先に述べたように
一番話題にならないのが天狗だ。

真偽はさておき、やれ龍見た!とか
龍神パワーが!とか
稲荷の狐の!とか
天使様が降臨されて!とか
そうゆう話は聞くが・・・
天狗の話はとんと聞かない。

そうだな、言われてみたら天狗は
龍や霊孤とは在り様が大分違う気がする。

木の傍からあまり動かない事を考えたら、
あの桜の女史と同じく
‟半分木霊、半分お神の威光”
で出来ているのかもしれん。

つまり、元々はコレって事ですね © Miramax Films

そして姿を見たり、存在を感じる事については、
霊感うんぬんより
見る人間の出自だとか
自然への意識によるのかもしれんな。

田舎産まれの田舎育ちってのもデカいが
バイク乗ってると自然の良さも悪さも
日々身に染みるからな。

 

時代の変化や人の意識の移ろいで
忘れられがちになる天狗ではあるが・・・

まだこの奇妙な怪異は
この国にひっそりと暮らしている。

少なくとも私にとってはそうなのだ。

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