真の名を知るは怪

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この世にある物には大体“名前”がついている。

が、私個人はハッキリ言って、
名前なんて分類のために存在している
だけに過ぎないと思っている。

リンゴをいきなりバナナと呼んでも、リンゴはリンゴである。
改名した途端に黄色くなるわけでも、手で皮が剥けるようになるわけでもない。

だが、名前はしばしば話題に上る。
特に“人の名前”は何かと話のネタになる。

悩ましい名前

ジ「困ったなぁ・・・出ん」

私が行者ジジイの元に通い始め1か月もした頃だったか、
ジジイは何かに悩んでいた。

私「あ?何?便秘?」
ジ「いや、俺どっちかというと下って困るほうやから。
便器と仲ようしとりたいほうやから・・・ってちゃうわ~い」

他所の拝み屋が日頃どうしているかは知らないが、
基本、この人とのやり取りはこんな感じだ。

何しろ元々関西人だから、
結論に辿り着くまで数回ボケツッコミが入る。
まぁ“ヨシモトの血のしからしむるところ”なんだと思う。

ジ「お前の名前が決まらん」

私の名前。

当然の事ながら、今の“柴猫由貴”というヘンテコな名は雅号だ。
「柴猫」というのは“柴犬と猫”を飼っているからつけた。
どちらも私が好きなモノだからな。

が、「由貴」という名前はジジイがつけた。
雅号として付けたというより「通名(通称)」というやつだ。

ここの部分だけは、本名の苗字と合わせて常日頃から
使っている。
完全な本名を名乗るのは病院とか役所とかそんな所だけだ。

他人がどうゆう通名を利用しているかは別として、
私の場合、本名と似ているが、違う漢字で違う呼び名だ。
そもそも私には“本名”って言い方がもう微妙で、
どちらかと言うと“書類上の分類記号”くらいの意味しかない。

私は昔から自分の名前が好きではない。
別にキラキラでもなく、苗字と合わせても珍名には程遠い、
ありふれた名前だ。

ただ、子供の頃からその名前が窮屈で窮屈で堪らない。

その名前で呼ばれると、
無理やり“名前という型”にハメられた気がする。

家族や親戚は名前を省略したニックネームで呼ぶが、
それすら駄目だ。
とにかく息苦しい。

なるべく呼ばれたくないので、必要がないと苗字しか言わない。
あまりにもありふれた苗字なので周りには申し訳ないと思うが、
下手に名乗ると「同じ苗字の人がいるから」
と名前で呼ばれるので名乗らないに限る。

しかし私の好みはさておいて、元の名前は
名前だけを姓名判断で見ると中々良く出来た名前らしい。

それでもジジイは
「その名前では駄目だ。
どうしても嫌ならいいが、そうでないなら改名しろ」

と、新しい名前を考えてくれることになった。

拝み屋の作る名前

ジジイの日頃の仕事には“命名・改名”も含まれる。

ジジイの作る名前は一応世間一般で言う画数も見るが、
それに加えてお神が「使って良し」と言った字だけを組み合わせ、
尚且つ、最終的にお神にお伺いを立てる。

候補を複数作って、お神に「あ、じゃあこれ」
って言われたのに決定するそうだ。

改名の場合も同じだが、改名は元の名前が存在する。
ジジイは元の名前と読みは同じで、漢字だけ変える。

が、私の場合、いつものこのやり方ではしっくりこないらしい。

ジ「あと数日待っておれ。ちゃんとご加護のある名前つけたるで」

たかが名前、されど名前。
“名は体を表す”とは言うものの、
実際その通りだというものは、世の中にどれほどあるのだろう?

私の本名は親父と母方の曽祖父がつけたと言うが、
どうして二人はあんな名前にしてしまったんだろう。

名前というのは、通常この世の住人になったら
一番最初に与えられる“贈り物”だ。
ただ、それと同時に“呪”でもある。
この名のような姿になれ・・・という呪なのだ。

ジ「お前の名前なぁ、悪くはないんだ。普通に見たら問題ない」

ただ・・・

ジ「各々に合う名前ってのは、それだけでは決められん。
画数良けりゃそれでえぇと違う。
本質を損ねず、足りない所を足して余分なものは削がなあかん」

そんな感じで数日悩んでいた。

怪の名前

で、更にしばらく経った。

ジジイが珍しく神棚の前に私を呼んで、
そこに捧げられた一枚の半紙を差し出した。

ジ「元の名と呼び名が変わってしまうが・・・
神さんがどうしてもコレだって言うから仕方がない」

紙には普通に読んだらユキとしか読めない
今の名前が書いてあった。

いや、まさかな・・・・

私「これ、読み方ユキで合ってる?」
ジ「合ってる」

私「じゃあ、間違いなくこれでいい。
コレ、人じゃないものが私を呼ぶ時の名前だ

ジ「は?」
私「良いも悪いもひっくるめて親がつけた名で呼ぶのは人だけ。
人でないモノは昔から私をユキって呼ぶんだ

子供の頃から不思議な事は日常だった。
そうして出会うものは何故か私を人が呼ぶ名で呼ばない。
代わりに彼らが決めたと思われる名で呼ぶ。
そして私自身、その名で呼ばれる事に何の違和感もない。
むしろその名で呼ばれるとピッタリと収まる気さえする。

ただ、それを誰かに教えたことは一度もない。
特に“人”に教えた事は一度もない。

ジジイとは長い付き合いだが、今思い返しても
この時ほど“目が点”になっているのを見た事がねぇ。

ジ「そりゃ・・・神さんこれ以外でうんって言うわけないわ。
ってか、それ、はよ言ってくれたらいいのに」

いやいやいや、
こんな阿保な話、人様に出来るか?
いや出来ん!!ヾノ・∀・`)ムリムリ

これ以来、本名を書く必要がある場以外では名前は由貴にしてある。
雅号の苗字は変わっても、名前は由貴だ。

境界を超える名前

それからまた20年経ったわけだが、今でもジジイは言う。

ジ「俺は半世紀近くこの仕事しとるが、
元の名から呼び名が変わってしまったのはお前だけや。
オマケに元々神や怪がその名で呼んでいて、
そっちのほうが“いい名前”だったなんて奴もお前しかおらん

ジジイが私に改名を勧めた理由は、本名のほうに
お神が言うところの“使ってはいけない字”が入っていたからだ。

実は本名からその“使ってはいけない字”を抜くと
ユキという読み方も出来る。

ジジイ的にはとても“理にかなった名前”なんだ。

ただ、文字にすると画数が合わないので、
もっともいい文字を当てたのが
“由貴”というわけ。

 

後から聞いたが、一応“いつもの作り方”
つまり、“本名の読みは変えずに字だけ変える”という
作り方をした名前もあったそうだ。

その名前も見せてもらったが、全くピンと来ない。

ジ「やっぱ駄目か。まぁ“由貴”っていう名前は
“ユタカ”とも“ヨシタカ”とも読める。
必ず女じゃなくてもいい名前やからな。
どうもお前は一つの枠の中に納まっておれない、
対極を持ってしてバランスを取る所がある。
性別一つとってもそれや。お前、本質は男だからなぁ。
・・・名前にもそれ位の余裕を持たせなあかんかったのやろ

人はいつでも色んなモノを分類し、枠に収めて考えたがる。
そのほうが便利だし、何より楽だからだ。
人の心理的にイレギュラーというのは意外と情報処理が
面倒だからな。

だが、それはあくまで人の考え。
お神を含めて、人外のモノはもっと本質的な部分を見る。

別にアレらに見る目があるとかそうゆう訳ではない。
人と怪の在り方の差がそうゆう齟齬を産む。

肉体を持たないアレらにしてみたら、
人の体なぞ脆弱な魂を入れておくだけの肉の袋に過ぎぬ。
単純にそんな事じゃないだろうか。

 

こう言った「隠された名」の話となると、思いつくのは
“諱(いみな)” “真の名”の話だ。

諱は日本の昔の習慣で、江戸時代くらいまであった。
教えちゃならんというよりも、おいそれと呼ぶと無礼になる
というものらしい。
そもそも、その前に“幼名”っていうものもあったしな。

真の名は、よくファンタジーに登場すると思う。
パッと思い浮かぶものだと「ゲド戦記」だが、
作名のゲドは主人公ハイタカの真の名だ。
(ジブリだとハイタカは主人公っぽくないが、
原作だと主人公はハイタカである)

真の名は、それを知られると魔術や魔物に操られるとして、
余程信頼のおけるもの以外には明かしてはならん名だ。
諱は忌み名とも言うらしく、君主など特別な人以外は
呼んではならなかったらしい。

そうして考えると、私の名前は一体何なんだろう?と思う。

私の名は、文字を当てるまでは音しかなかった。
音しかないって事は“視覚化出来ない”という事だ。

文字は、ある意味“形”だ。
そして形は“実体”なのだ。

怪だけが呼び、ジジイが形を与えて
現世に引っ張り出した名を名乗るようになり、
もう20年経つ。

相変わらずその意味は分からんが、
結局私が日頃やっているのは
その繰り返しなのだとたまに思う。

空想という形のないものを紙に描く事で形を与える。

“描く”というのは、結局そうゆう事だ。
まぁなんとも絵師におあつらえ向きの名じゃねぇか。

あぁまさにこれぞ“名は体を表す”

なるほど、怪異と縁が切れないわけだ。
私自身がそうやって形を作る装置みたいなもんなんだからな。

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