精悍な狛犬が護る 吉野山 吉野神宮

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吉野山には後醍醐天皇関連のものが幾つかあるが、
その中で神として祀っている所が「吉水神社」と「吉野神宮」だろう。

吉水さんは‟一目千本”の眺めで有名だが、
吉野神宮はあまり話題に上らない気がするのは何故だろう?

都恋しや、後醍醐天皇

そもそも後醍醐天皇(ごだいごてんのう)って?って話だ。

私はゴダイゴって聞いて真っ先に思い浮かべるのは
「愛の国ガンダーラ」とか
「銀河鉄道999」とか
なんだが・・・明らかに「ゴダイゴ違い」である。
※一説によれば後醍醐天皇が名前の由来でもあるらしいけど。

日本史ね、駄目なんですわ(;・∀・)
戦国時代で引っかかって、いまだに手が出し辛い。
(きな臭く血生臭すぎて覚える以前の問題)

名のある戦国武将ならまだしも、
各天皇なんぞ誰も彼も「名前は知っている」止まり。

そんな訳で我らがWikipedia先生から丸写しするとこんな感じだ。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年11月26日(正応元年11月2日) – 1339年9月19日(延元4年8月16日))は、
鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、
南朝の初代天皇(在位:1318年3月29日(文保2年2月26日) – 1339年9月18日(延元4年/暦応2年8月15日))。
ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。
諱は尊治(たかはる)。
鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、
間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。

Wikipedia 後醍醐天皇

南朝政権とかは、うっすらと教科書に載ってたかなぁ?って記憶はあるけどな。
説明して見ろ!と言われたらサッパリですわ(;・∀・)

吉野神宮

さて、ツーリングの記事でもサクッと紹介したが、
吉野神宮は下千本側にある。

勾配とカーブはあっても、まだだいぶ序の口な道をヘロヘロと
登っていくと、デカデカと「吉野神宮駐車場」という看板があった。

駐車場にバイクを停め、正面へ。

入口には神社なら定番の狛犬がいるんだが・・・おや?
なんだか妙にスリムだ。

まぁ狛犬は後からにしよう。
まずは参拝だ。

神社というのは大体南向きに建てられているのだが、
吉野神宮は、都大好きだった後醍醐天皇のために北向きに作られているそうな。

そのお蔭で午前中はどこで写真を撮っても逆行になる吉野神宮(笑)
こうゆう所も珍しい気がしないでもないが、
太陽を背負った社は荘厳で美しい。

が、スマホだと中々厳しい・・・・。

神宮といえば、この界隈では橿原神宮が一番規模も大きく有名かもしれない。
橿原さんも一度行っているんだが、
確かに綺麗だしデカイ。

が、私はこじんまりとした神社が好きだがな。
・・・・広大な境内に敷き詰められた玉砂利の上をライディングブーツで歩いてると、
トレーニングで砂浜走らされている気分になるんだよ。
体力下降気味のBBAには、この規模が丁度いいよ笑


楼門を裏から。

門から鳥居までが広いんだよね。
※上記2枚は流石に写真が無さすぎなので、後日追加で撮影した分。
基本、失礼な気がして社はあまり撮りたくないのだ。
この日は恐らく氏子さん達と思われる方が沢山いらっしゃって、
境内の掃除をされていた。大事にされているのを見ると嬉しくなる。

紅葉の始まりかけた木々の中にどっちりとある拝殿は絵になる。
春もまた良さそうだが、秋もいい。
まぁ結局、いつ来ても良さそうな所だ。

精悍な狛犬

さて、ご朱印はまた後にして、先に入口の大鳥居にあった狛犬を紹介したい。

一般的な狛犬はどちらかというとずんぐりが多い気がするが、
ここのはどちらかと言うとウェストが凄い締まっている。
横から見ると体に沿ってラインが刻まれているんだけど、
あばらなのか、縞模様なのか、どっちなのかな?

 

この二匹、表情がいいんだよね。
吽形のキリっとした表情もいいけれど、阿形は秋晴れの元で高らかに笑っているようだ。

この二匹は昭和7年に設置されたそうで、吉野に溢れる世界遺産級のものに比べたら
特別古いものではないが、時間の重みがなくたって良いものは良い。
私はここの狛犬好きだなぁ。

こうゆうお神のお膝元にあるモノってのは、そう長い間そこになくても
意外とちゃんと中身が入っていたりするもんで、
やっぱり無礼な事はしちゃならんのだよ。

最近、神社仏閣巡る人増えたのは良い事だとは思うけど、
何をしたいのか変な所に金ねじ込んでいくヤツとかいるからな。
駄目だぜ、それは。
ちゃんと賽銭箱に入れんさい。
(ちなみに賽銭を投げるのも駄目だ。鳩の餌じゃないんだから)

吉野神宮ご朱印

入る時「あれ?無人かなぁ?」と思ったものの、
入ったら拝殿の横の社務所にちゃんと人がいたので、ご朱印を頂く。

神宮系は比較的どこもあっさり目のご朱印の事が多い。
別に示し合わせているわけではないんだろうが、
大体どこも印は一つで文字もあっさりな所が多いなぁ。
何でかなぁ?

しかし、ここは一つ他の神宮と一線を画す所があって、
それは・・・これだ。

大概の所では、書いた後に墨やインクが隣のページに付かないように、
なにがしかの用紙を挟んでくれる。
それこそコピー用紙から半紙、神社仏閣の由来書まで様々なんだが、
ここはコレが挟まれていた。
シンプルなんだが、逆にシンプルだから雅。
(ここは神紋が菊なので、なんとなく菊っぽくしているんだろうな)

 

雅と言えば後醍醐天皇は病床でこんな歌を呼んだそうな。

「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」

本当に都に帰りたかったんだなぁ。

別ルートから中千本を目指す如意輪寺には後醍醐天皇陵もあり、
ここもやはり北向きに作られ「北面の御陵」として有名らしい。
(時間と体力がなくて、まだ一度も寄ってないけど)

後醍醐天皇がそこまで都に執着した正確な理由は
今となっては全く分からん事だ。

でも祭神が元々人間で~とか聞くと
「死んだ後、ちゃんと都まで行けたのかなぁ?」とか
つい考えちまうねぇ。

後醍醐天皇にとっては
都がガンダーラで、銀河鉄道の行きつく先だったんだな。
(そこから離れろ)

でも、会うような事があったら言ってあげたいよね。

吉野もいい所じゃございませんかって。

とりあえず今私が見ている風景は、もし後醍醐天皇が
都に帰っていたら、きっと違っていただろうからね。

私は「もしも」ではなくて、今目の前にあるこの吉野が好きなんだよ。

だから後醍醐天皇が吉野に来てくれて良かったよ。
まぁ本人は甚だ不本意だろうけど!

吉野神宮:http://www.naranet.co.jp/yoshinojingu/

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