私はこう言っては何だが、細い。
ポッキーのように・・・とは言わないが、とりあえず
「とてもナナハン越えのバイクを取り回せるようには見えません」
と言われる程度には細い。
つーか、小さい(←多分、こっちが本命)
んでよく言われるのが
「ジャンクフードとか食べないでしょう」
なんだが・・・・・
ガッツリ食うよ?ジャンクフード!!
今日はジャンクフードと呼ばれるが、
逆にこれはジャンクと呼べない凄いハンバーガーの話。
私はこう言っては何だが、細い。
ポッキーのように・・・とは言わないが、とりあえず
「とてもナナハン越えのバイクを取り回せるようには見えません」
と言われる程度には細い。
つーか、小さい(←多分、こっちが本命)
んでよく言われるのが
「ジャンクフードとか食べないでしょう」
なんだが・・・・・
ガッツリ食うよ?ジャンクフード!!
今日はジャンクフードと呼ばれるが、
逆にこれはジャンクと呼べない凄いハンバーガーの話。
表に出す出さないはさておき、人には
必ず大なり小なり「好み」や「相性」というのがある。
変える事が可能なモノは別として、
本人の努力ではいかんともしがたいモノもある。
んでこれは神社仏閣を参る時も発生する話。
怪異怪談というのは、草木も眠る丑三つ時だったり、
隣に立つ人の顔が翳る逢魔が時に遭遇するものだと思われがちだ。
が、現実には会う時は真昼間でも会う。
非日常とは、あからさまに怪しい所にばかり出現するわけではなく、
日常にぽっかりと口を開けている・・・・事もある。
うちのダンナが怪異について語る時、
こう言っちゃなんだが、
怖さもありがたみもない。
けして話下手ではないし、説明も下手ではない。
ボキャブラリーが少ないわけでもない。
が、“物語る”というのが下手なのだ。
何しろ某神社に以前あったという
アメノウズメノミコトの絵の説明をさせたら
「昔のは、もっとチチ放り出した格好で・・・」
という調子なのだから。
せめて「胸をはだけたしどけない姿で」くらい言え。
今夜は、そんなダンナの嘘や誇張がないゆえに、
ありがたみに欠ける話を
ありがたみがないままにダラダラ書きたい。
「結局、まぶた閉じても自分のまぶたの裏見てるだけですからね~」
と口にすると、大概の人に「はぁ?」という顔をされる。
「まぶたを閉じる」という行為は、
別に‟=目の機能をoffにする”というものではない。
単純に外界からの視覚情報が遮断されるだけである。
そんな閉じたまぶたの裏に出来上がる個人シアターには、
たまに面白いものが映り込む。
昔から猫が主役の怪談奇談が非常に多い。
化け猫、猫又、招き猫、
魔女の下僕になってサバトの宴で踊っていたり、
そうかと思えば、女神の車を引く。
さらに、国によっては猫顔の神までいる始末。
どうして猫には不思議な話が付きまとうのだろう。
どうして猫には不思議な話が良く似合うのだろう。
猫というのは、生きていても死んでいても
怪しく美しい生き物である。
通常であれば、幽霊の類は‟たまたま”でなければ見えない私が、
何故か、生前長くご近所付き合いをしていた
ラブラドルレトリバーの‟彼女”を
行く先々で目撃する事になった。
そして、その姿は「幽霊」と呼ぶのがためらわれるほど、
いつもこの上なく幸せそうだった。
「犬の恩返しは死ぬまで、猫の恩返しは死んでから」
一体何の根拠があるのか知らんが、
うちのダンナはよくこの言葉を口にする。
以前、この死んでからの猫の恩返し的な話を書いたが、
結局、犬はどうなのだろう?
今日はそんな犬が死んでからの物語。
まだ続くのか!と言われそうだが、
やっぱり改めて「マスツーリングってどうよ?」って話を書きたい。
バイク乗りの中でもマスがいいのかソロがいいのかは
多分、永遠のテーマになっていると思うのだが、
日頃ソロ、今回久々にマスをして感じた事をまとめてみたいと思う。
「近所でマスツー出来るバイク仲間がいない!!」
という事で、とうとう関西まで遠征する事にした
三度の飯よりバイクを愛する
アラフォーバイクBBA。
え?
「待ち合わせ場所までが既にツーリングになってるだろう」
だと?
そうだよ、遠征マスツーのいい所は、
ソロとマスの両方が楽しめる一粒で二度美味しい所だ。
仲間がいないと不平を漏らす暇があれば、走って探しに行けばいい。
そのためにバイクは存在するのだ・・・・多分。
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