航海薄明 ~世界を分かつ一筋~

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

空にモクモクと入道雲が立ち
蝉が一斉に鳴き始めると、
以前語った板子一枚下の世界が
懐かしくなる。

つまり「海」が恋しくなるのだ。

記事を読み返しながら、
海を渇望していたのだが

・・・・ふと思い出したことがある。

茫々たる夜の海へ

親父が他界して以来、
私はすっかり沖釣りをする機会を失ってしまった。

いや、釣りはどうでもいい。
私は、ただひたすら沖の海へ出たいのだ。

今でも、陸から夜の海を眺める機会はある。

しかし、
陸から見る夜の海と、

沖で見る夜の海は、
頭で考える以上に違う。

実際に沖で見る夜の海の暗さは、
人の小賢しい想像を容易く塗り潰すほど
実に黒々しく、暗さを極める。

漁船には、集魚灯がいくつもついていたが、
肌が焼けるほど熱く眩しい
集魚灯を持ってしても
照らせる範囲はたかが知れていた。

船ばたの周りだけは、
濁った藍鼠(あいねず)の海面が見えるが、
そこから先は海原と呼び難い、
黒い空間が広がっている。

月もなく星明りだけの海は、
水平線すらない。

ぬばだまの虚無のその遥か彼方に、
ほんのりと星明かりが始まる場所があり、
そんなぼんやりとした境界が水平線だ。

ただ暗いだけではない。

‟黒くて暗くて曖昧模糊”

そんな頼りない世界。
それが夜の沖の海の上だ。

しかし、それとは対照的なのが‟海の中”

沖で釣り糸を垂れていると、しばしば
板子の下で無数の気配がうごめいているのを感じる。

何もない、何も見えない虚空とは対照的に
足の裏がムズムズするほど、
海の中が満ちて騒がしい。

海の中にいるものと言えば、
言うまでもなく“魚”だが、
それを気配として感じるというのは
一体どうゆう事だろう?

真偽も原理も分からないが、
私は昔から沖に出ると
足元を何かが行き交うのを
感じる事が出来た。

そして、その数が多ければ多いほど、
釣果がいいのである。

 

夜の海は、
集魚灯のせいもあるだろうが、
今まで感じた事がないほど
気配が満ちていた。

舞い踊る気配の中に、
唐突に消えるものがいるのは、
恐らく集まった他の魚に食われているのだろう。

釣りをしていると、
釣りあげられる最中に
食いちぎられて体が半分なくなった魚や、
食いついた側まで一緒に釣れる事がある。

食う側にしてみたら、
食いつくチャンスさえあれば
相手の状況など、どうでもいい。

現実は、
物語のようにタイミングなど考えない。
体裁も整えない。
未来をおもんばかる事もない。

ただひたすらに「今」だけを感じ、
「生」に食らいついていく。

 

そして、

海面に浮かび、あたかも頭一つ抜きんでて
いるように見える我々も
本来は、その程度の生き物なのだ。

航海薄明 ~世界を分かつ一筋~

どれだけ大量にイカが獲れようが、
予定の漁獲量に達すると
漁は終了する。

漁師弟は操縦室へ、
漁師兄や親父は、仮眠を取るために船室へ。

そして私は、最後尾で海を眺める。

 

‟眺める”と言っても、先に語った通り
暗くて黒い風景に特別なものはない。

強いて見えるものを上げれば、
空の星と
稀に遠くで漁をする船の漁り火だけ。

真っ暗だ。

真っ暗な中、
船に当たって砕ける波と
エンジンと
風の音だけが響いている。

そんな数えられる程度の音も
ときおり、示し合わせたかのように
消える瞬間があり、
その時に訪れる‟圧倒的無音”

そして、相変わらず足元にある気配。

ただし、船が走り出すと感じ方が変わる。

漁の間は、足元に無数の気配が集まっていたが、
走り出すとそれは散り散りになり、
方々で大小の輪へ変わる。

その上を船が走り抜けていく。

私は、顔を黒い海に向けながら、
いつも甲板に下ろした尻と掌、
足の裏で海の底を眺めた。

虚無という景色を眺め、
無音という音を聞く。

 

そうしていると、
やがて黒々しい世界に変化が訪れる。

極黒が薄まって藍へ。
その藍に光が入って
更に藍が薄まり、
蒼暗い世界の下方に一本の境界が現れる。

水平線という名の秩序だ。

この時から、世界は空と海に分かたれる。

日本海ゆえに直接朝日は昇らないが、
私の目には、かえってそのほうが神秘的で、
「天地開闢」とは、
このようなものだったのではないかと
見る度に考えた。

そして、天地が分かれると、
不思議な事にあれほど足元で
やかましかった気配が消えてしまう。

いや、消えるというよりも
明るくなった大気に
全ての気配が溶け出して
区別がつかなくなってしまうのだ。

天地の区別がつかない曖昧模糊な世界が
分かたれる事で、
混じり合った彼岸と此岸が分かれるのか。
それとも、逆に世界が溶け出して混じり合うのか。

きっと、本当の事は誰にも分からない。

悠遠の海

沖での出来事を回想している間にも
夏は増していく。

かげろうの浮かぶアスファルトの上で、
蝉しぐれを浴びながら、
あの夜と海を渇望する。

かつて、私が立っていたあの海は、
距離で言えば
外国に行くよりも近い。

だが、再び行ってみようにも
意外と行けない不思議な場所だ。

此岸と彼岸が、重なるようにありながらも
自由に行き来が出来ないように、
あの極上の夜を湛えた沖にも
おいそれと行く事が出来ない。

あぁ、そういえば、
この100年かそこらの間に
人は空を飛び越え、
月の大地を踏みしめる事も出来たというのに、
月より近いはずの海溝の底に
自らの足で立つ事は出来ないでいるのだ。

それどころか、
陸に特化しすぎてしまった我々は、
たった10分、水に潜る事すらままならない。

 

黄昏時、
波打ち際から水平線を臨む。

海に沈みゆく太陽が、
最後の抵抗と言わんばかりに
空と、それを眺める世界を焼く。

水平線を燃やし続ける太陽を
背後からやってきた夜が包み、
共に水底へと沈む。

また、今日という一つの世界が閉じ、
大気に散っていた者達が
海の底の楽園へと舞い戻る。

再び、世界に一筋の秩序が引かれるまで、
海は、安らぎと狂乱を抱いて
横たわるのだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。