
「占い」というものを
どのように考え、
使用するかは、人それぞれ。
ちなみに、私は占いはするが、
占いで何かを選択することはない。
ではどうゆう時にするのか?
自分の棚卸をする時に
ツールの一つとして使うのである。
“文ちゃん”という人と、ヒューマンデザイン
私の友人の中に“文ちゃん”という
非常に面白い人がいる。
本業は司法書士なのだが、
彼女の活動というのは多岐に渡るというか、
とにかく多才な人である。
(別名「多動の青木」笑)
中でも文章を書く事、語る事については特級レベル。
彼女の名を呼ぶ度に
「名は体を表す」
という言葉の重みをズシリと感じる。
ある時、その彼女の口からポロリとこぼれたのが、
「ヒューマンデザイン」
という言葉である。
ヒューマンデザインとは何ぞや?
このヒューマンデザインとは、
生年月日、出生時間、場所などから
その人の持って生まれた性質や特性、
そして人生のテーマと呼ぶべきものを見ていく
・・・・平たく言ってしまえば占いだ。
そして
「命術(命占)」「卜術(占)」「相術(占)」※
と大きく分けられる占いの中の「命術」にあたる。
※「命術(命占)」は星座占い、四柱推命
「卜術(占)」は、タロット、易、おみくじ
「相術(占)」は、手相、姓名判断、顔相
という風に分かれているよ!
この占術の詳しい成り立ちなどについては
以下を参照して頂ければいい。
●ヒューマンデザインジャパン
https://humanjp.com/
とにかく「そうゆうものがある」というのを知り、
それを「文ちゃんがやっている」(←ここ凄く重要)
というのを聞いて
「あぁ、それはやりたい、占われたい!!」
というスイッチが入ってしまったのだ。
意外か?妥当?隙間人間・柴猫の命式
ヒューマンデザインは、
「命術」にあたるという話をしたが、
世の中にある占術の中ではまだまだマイナー
・・・だとは思う。
そこで、広く世に知られた占術と
比較しながら見て頂くために、
まず私自身の「他の占いの結果」
を軽く紹介する。
●西洋占星術(星占い)
私は、皆大好き「星占い」で行くと、
十二星座中でもっとも慈悲深く、
フワフワしているとされている
「魚座」
ちょっと占星術の出来る方なら
「それ本当?月は違う星座なんじゃないの?」
と思うかもしれない。
が、残念ながら月も太陽も魚だ。
(↑ここ笑う所)
強いて言えば、私は俗にいう
カスプ(星座と星座の狭間)生まれで
隣の戦闘部族・牡羊座から多大なる影響を受ける。
ついでに言えば、蠍座からも影響を受けているので
ホオジロザメ、もしくはダツが
ぶっといロープで繋がれているのが「私」
という人物と考えるのが妥当である。
●東洋占星術
東洋に関しては、
そもそもこちらも西洋占星術ほど
メジャーでもないので一括りでいく。
- 四柱推命では「丙子」の印綬持ち
- 紫微斗数では「命無曜星」
- 九星では「五黄土星」
どうでもいいんだけどさ、
四柱推命の「丙子」って美男美女が多いらしいんだよ。
一体いつの時代基準の美男美女か
ちょっきり説明して欲しいんだがなぁ・・・
ヒューマンデザイン・チャート
ヒューマンデザインには、元になるチャート表がある。
占星術で言う所のホロスコープ表のようなものだ。
まずそこで、大まかなタイプ分けがされる。
マニフェスティング・ジェネレーターという人々
私は5つに分けられるタイプの中で
「マニフェスティング・ジェネレーター」
と呼ばれるタイプ。
分かりやすくすると、
自分で動くエンジンがついている
「パワー型」
で、この占いの面白い所は、
何かを決める時、何処を重視していくといいか?
が分かる所だ。
そして、マニフェスティング・ジェネレーターは
「仙骨反応」というのを重視していくといいそう。
仙骨反応と書くと意味が分からんが、
例えば何かに出会った時、
自分がどうゆう反応をしているか?
この分かりやすい説明として文ちゃんは
- 前のめり
- 左右に揺れる
- ピョンピョンする
をあげている。
「前のめり」は他にも説明としてあげている人が多いが、
2と3は少ないかな?
“実際に動作としてやる”というより
‟自分の心の中の動き”なんだが、
「これは!」と思う事に出会うと
このタイプの人は、
心の中で1~3のいずれかの反応をしているそうだ。
むしろ逆にそれがない事は、
選ばなくてもいいくらいっていう話。
先に「パワー型」と書いたが、
なまじパワーがある分、気乗りしなくても
行動できちゃうんだそうだ。
でも実際には、仙骨が反応してないからとん挫したり
やる気がなくなったり色々・・・というわけ。
勿論、他のチャートとの絡みもあるから
誰しもが絶対じゃないんだろうが、
少なくとも私は最初の「あ!」とか「ん?」って部分を
大事にしていかないといかんという。
・・・・これな。うん、身に覚えがある。
というか、現在進行形で練習中なんだ。
流石に人間を始めて半世紀が経ちそうになってくると
嫌でも自分の「成功例」と「失敗例」が分かるわけで・・・
最初に「ん??」と思っても「いやぁ自分の偏見かも」と
最初のサインを無視してGoしたものは大体コケる(;・∀・)
もっとも、これはこれで
「バイアスをかけて物を判断しない」
という点においては正解なんだけれども
ただ「伸るか反るか」の時には使えない。
あと、これのせいで
後々面倒臭い事になる人と
繋がってしまうのも事実。
今まで上手く行かないどころか、
本当に不愉快な思いをさせられる人って
大体最初の時点で、私は“引いて”いる。
ただ「いや、この人にも良い所があるかもしれない」とか、
「〇〇さんの紹介だし相手の顔を立てなあかん」と思うから
一応付き合いはするのだが・・・・
ほぼ90%の確率で面倒臭い事になる。
勿論、残り10%をかいくぐって仲良くなる人もいるから
それを信じて今までと同じやり方をしてもいい。
が、多分それは30代までなんだ。
若いうちは見分と経験を広げるという意味で
それもいいかもしれない。
が、40を過ぎると、そろそろ
‟セレクション”に入らねばならない。
そんなそこはかとないフンワリした問いに
色がついた瞬間であった。
(そしてこのセレクション問題は、
次回のマイダンジョンカードにて輪郭を持つことになる)
このチャート部分については、
他にもシグネチャー、プロファイル、定義型など
幾つかのタイプ分けがあるのだが
全部書くとキリがないので、
もっとニッチな分野へ話を進めよう。
「愛の器のクロス」という人生の使命
このヒューマンデザインという占術の説明を聞く限り
ここが本当のキモなのかもしれないが、
色々あるチャートの中で
「インカネーションクロス」と呼ばれる項目がある。

黄色のマーカー部分がインカネーションクロス。
これは簡単に言ってしまえば「人生の使命」なんだが、
どちらかというと「やらねばならぬこと」というよりも
「人生において向き合うもの、振り返った時に見えるもの」
のほうが合っていると思う。
この〇〇のクロスというのは、
100個以上あるのだが
私が該当するのは
「愛の器のクロス」
正直に言う。
ネーミングがクソ恥ずかしいっっ!!
魚座の古典的設定レベルで恥ずかしい!!
※魚座の古典的設定「愛されキャラ」
・・・まぁ外国のものだしな。
向こうの人好きだもんな、love&peaceとか。
これが実際どうゆうものか?については
色々解釈があるので、
ここにはあくまで私が思う事を書く。
これについて私自身が思い当たるのは、
‟愛情の対象を区別してない”
って事なのかと思う。
違う言い方をしたら
‟好きな物に統一感がない”
ここの読者は常々思っているかもしれないが、
そもそもインドアの絵描きとアウトドアのバイクって
方向性逆じゃん?
大体の人に「はぁぁ?」って顔されるんだよ。
が、私の中では「自分が好きな事」
という定義において、統一されているのだ。
同じ事を友人関係に例えても同じだ。
普通「この人の友達は同じようなこうゆうタイプ」
となる筈だが、私の場合、大分幅が広い。
ただ「私の好きな人」という定義において
私の中では、統一されている。
こうゆう事は誰にでもある事なのだが、
私の場合はその拡張版だと思ってもらえばいい。
ゆえに傍から見たら全くもって理解不能らしい。
今仲良くしてくれている人達は、
多分‟何となく”であっても分かってくれているから
一緒にいて楽しいのだ。
(あるいは同類か)
その最たるものが結局ダンナだ。
あれは、説明せずともこの事を理解しているから
四半世紀、一緒にいることができるのだ。
愛のクロスの中で最大とされている
愛の器のクロスだが、
私としてはそんなご大層なものではなく
単純に
「自分の琴線に触れるものを何でもかんでも丼に放り込む」
っていう
‟好きな物全部乗っけ丼”
だと思うのだ。
個人的には、この「どんぶり愛」のほうが
「慈愛に満ちた私」よりしっくりくる。
私に限ったら「愛の器のクロス」も
「愛の丼(器)のクロス」
だな。

丼・・・それは最小の宇宙(笑)
とりあえず器は用意されている。
‟愛”にまつわるクロス全てを包括する
もっともデカイ器が。
ただ、「課題」であるから、
現時点でそれが完成しているという事ではない。
今後それをどう生かしていくか?
って話だよね。
まぁ、とりあえず猫と犬には無限の愛情を注いどく。
器の大きさと人間性の話 ~大は小を兼ねない~
占術、更にそれを見る占い師によって言い方や解釈は変わる。
しかし、基本的に私は
「器のデカイ」人間らしい。
世間一般で人となりを指す
「器が大きい」というのはいい意味であり、
逆に「器が小さい」のは悪い事とされる。
しかし、私は人は器のサイズではないと思う。
もっと本質を述べてしまえば、
本当は誰でも無限の器を持っている。
それこそスピリチュアルな言い方をすれば、
宇宙であったりワンネスであったり、
そうゆう大きい物が本体であり、
この世の生きとし生けるものは
そこから分かれた枝の先に過ぎない。
では、何故そうゆう風に細分化されたのかというと
「大は小を兼ねない」
からである。
ネジを締めるドライバーって一杯種類あるじゃない?
本当に大は小を兼ねるなら、そんなに種類いらんよな!
って言う事。
上でスピリチュアルな話をしたから、
そうゆうくくりで言うとしたら
我々は「地球」という建物をDIYするための
道具と材料なのだ。
これは文ちゃんがブログなどでも書いているし、
ダンナともよく言う話なんだが、
人の事を羨ましがっても意味がないんだよ。
器の大きさじゃなく、
何処にどうやって使うかだけなんだ。
別に巨大レンチになって、
大きなネジを締めるのが偉い事ではない。
その前にネジがなくっちゃ、
どんな高級レンチも活躍出来ない。
実際、器が大きいとされる私の考え方は、
分からない人には物凄くザックリとしていて
‟何も考えてない”
ように見えるんだ。
なんだろう、答えは同じなんだけれど、
算数のいきなり答えが書いてあるのと
途中の計算式が書いてあって答えがあるの
違いみたいなもんかな?
多分な、私が考えてないように見える人には
私が答えを見て答えだけ書き込んでいるように
見えてるんだろう。
だから、とにかく昔から
「ちゃんと考えてるの?」
「あんたが思うほど甘くないのよ」
とお説教される。
私の器サイズや器の形が羨ましいと思うのであれば、
これらを何とか捌かないといけないわけだ。
メリットだけのものは何処にもない。
そりゃ、たまには人のモノが羨ましくはなる。
そこは致し方がない。
でも、ずっと羨ましがってても何も変わらない。
そして、あなたを羨ましいと思う人も
必ずいるんだよ。
というわけで、大分長くなったが、
ここまでが基本的なヒューマンデザインのチャートの話。
さて、次回は、
厨二病心をくすぐる
「マイダンジョンカード」
の話へと移っていく。
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